【書評】『中曽根康弘 「大統領的首相」の軌跡』/服部龍二・著/中公新書/900円+税
【評者】平山周吉(雑文家)
『私何だか死なないような気がするんですよ』とは九十八歳まで生きた宇野千代最後の本のタイトルだが、九十七歳の「風見鶏」、いや「大勲位」の鼻息は、いまだ現役政治家である。“高論卓説”が節目節目に、新聞や雑誌を飾ることおびただしい。
「棺を蓋いて事定まる」のが世の習いだが、その長寿に待ちきれずに(?)、本書『中曽根康弘』は出版となった。著者の服部龍二中央大教授は『広田弘毅』『日中歴史認識』などでその実力が知られる外交史家である。
オーラルヒストリーで徹底インタビューも行なっている相手だから、面識もある。「大統領的首相」の黒い目がまだ炯炯(けいけい)と光っているから、さぞ書きにくかっただろうが、そのハンディをものともせずに、歴史上の人物として冷静に評価が行なわれ、功と罪が描かれる出色の伝記だ。
まっ白に塗った自転車で選挙区を走り、原子力基本法を議員立法で作って「ミスター・アトム」と呼ばれ、「憲法改正の歌」の作者でもある。若き日から目立つことをひたすら心がけ、たくさんの著書を出し、田中角栄の力を借りて、遂に総理の座に辿り着く。日米蜜月のロン・ヤス関係まで築いた毀誉褒貶の軌跡は、それだけで極上の田舎芝居である。
「巧言令色」を実行した政治家の、大量の「言」と派手な「行」に付き合うのは大変だったはずだ。数十年にわたる、余りに膨大な証言と記録を残しているからだ。その「言」と「行」の狭間を、丁寧にトレースしていくと、そこに元宰相の実像が浮かびあがってくるのだ。
「戦後政治の総決算」という高邁なキャッチフレーズも、もともとはロッキード裁判前後の選挙乗り切りのための言葉だった。「中曽根は、実態よりも強い言葉を好む傾向にある」。
靖国参拝、原発、改憲、教育など、決算時期さえ定かでない問題は山積したままだ。自ら望んで「歴史法廷の被告」となった自信家である中曽根康弘は、その言行のすべてが、戦後日本の隘路のありかを示す稀有な存在なのだ。
※週刊ポスト2016年3月11日号