【著者に訊け】宇野維正氏『1998年の宇多田ヒカル』/新潮新書/740円+税
話題の新書『1998年の宇多田ヒカル』を読んで、目下ネットで「凄すぎる!」と評判だという『宇多田ヒカルのうた』所収の1曲、浜崎あゆみのカバー&解釈による『Movin’on without you』を聴いてみた。確かに凄い。彼女の声はこの時、この人でなければ表現しえない生き様や関係すら感じさせ、思わず涙がこぼれるほど心が震えた。
実は宇多田と浜崎、椎名林檎もaikoも、デビューは1998年。著者・宇野維正氏はこの、〈日本の音楽業界史上最高のCD売り上げを記録した〉〈特別な年〉を補助線に、彼女たちが18年後の今なお君臨する日本の音楽シーンに論考を試みる。1996年にロッキング・オンに入社以来、音楽や映画批評の世界で活躍する宇野氏が、なぜ今、Jポップなのか?
「『はっぴいえんど史観』という言葉もあるのですが、はっぴいえんどこそが日本のロック、そして現代的なポップスの原点だとよく言われている。それに続いて、最近はYMO史観や〈渋谷系〉史観のような言説まで出てきた。
でも、それらは都市に住むインテリ層の音楽ファンの文脈に過ぎず、一方で、ビーイング系やビジュアル系や小室哲哉プロデュース作品など、地方のヤンキー的な文脈の中でその何倍も売れてきた音楽がたくさんあったわけです。
1990年代末、宇多田さんと椎名さんとaikoさんの3人は、そんな都市と地方、インテリとヤンキーの境界を軽く飛び越えていった。その歴史的意義は、1970年代の松任谷由実、中島みゆき、竹内まりやの系譜に直接繋げるのではなく、そこに松田聖子、中森明菜、小泉今日子といった1980年代アイドルを挟んで語るべきだと思ったんです。
現在のヒットチャートは、AKB系とEXILE系とジャニーズにほぼ独占されています。1998年以降、この3人を駆逐する才能が現われず、日本の音楽シーンは更新されていない。そのことへの失望が、この本を書かせたと言ってもいいかもしれません」
その1998年、日本では4億5717万枚のCDが売れ、日本人は1人当たり世界一CDを買っていた国民だった。その背景にはレコード会社の大半が音響メーカー傘下にある世界的に稀な〈ハードとソフトの供給元が一体となった環境〉と、〈CDは半永久的に劣化しない〉という定説があった。
旧譜の再CD化で〈「現在の音楽」と「過去の音楽」が等価〉となり、SMAPが音楽シーンの最前線にいるシンガーソングライターを起用していったように「メイン←→サブ」の相互交流も進む中、面白いのは〈アーティスト〉という切り口だ。
松田聖子や〈花の82年組〉の登場で隆盛を極めたアイドル界も、1985年にスタートした『夕やけニャンニャン』や翌年の岡田有希子の自殺を節目に〈脱アイドル化〉が図られていく。実は日本でアーティストという呼称が使われ始めたのは、〈「アイドル」というレッテルから意識的/無意識的に抜け出そうとする「女性歌手」の周辺であった〉という。
「結局、男も女も魅力的な容姿と声は不可欠な要素で、『俺は椎名林檎の音楽だけが好き』なんていう人は絶対ウソつきだと思う(笑い)。1998年組の女性シンガーが男女両方から広く支持された背景には、その前の小室ブームが同性からの支持に偏りすぎていたことへの反動がありました」
小室ブーム自体は1993年に始まるが、それ以前の楽曲提供先はまさに〈アイドル名鑑状態〉。その中で同性の取り込みや〈B級アイドルを歌姫として再生させる〉システムを確立し、〈「アイドル」と「アーティスト」の綱引き〉に終止符を打ったのも小室だ。が、やがてそのシステムも制度疲労を来し、元々活況だったCD市場の〈エアポケット〉に、奇跡の1998年組が登場する。