「大河ドラマ『真田丸』(NHK)が始まって、参拝客が一気に増えましたね」──そう笑うのは大阪市天王寺区にある三光神社の小田禮五郎・宮司だ。三光神社は1614年の大坂冬の陣で豊臣方についた真田幸村(信繁)が20万ともいわれる徳川の大軍勢から大坂城を守るために築いた砦、いわゆる「真田丸」の跡地を謳っている。
三谷幸喜・脚本で話題の『真田丸』の主人公・真田幸村(堺雅人)の終焉の地である大阪に、早くも観光客が集まっているのだ。
三光神社の境内には、軍配を振りかざす真田幸村像がそびえ立ち、「真田丸跡」と書かれた顔ハメ看板や真っ赤なのぼりが並ぶ。
ところが、である。最新の調査によるとこの神社は「真田丸跡地ではない」というのだ。調査した城郭研究家の千田嘉博・奈良大学学長はこういう。
「大坂冬の陣の後、真田丸は徹底的に破壊され、これまでは伝承をもとに“このあたりにあったのだろう”という推測しかなかった。今回、広島藩主浅野家の残した『浅野文庫諸国古城之図』などこれまで見過ごされてきた史料を精査し、さらに大阪文化財研究所などの協力を得て、地中レーダー探査を行ないました。
その結果、これまで半円形だと伝えられてきた真田丸が、実際は巨大な四角形だったことがわかり、その位置も三光神社の周辺ではなく、数百m西側の大阪明星学園を中心にした一帯であったと判明しました」
調査結果を受け、2月初旬には大阪明星学園前に真田丸顕彰碑が建立された。
「跡地ではない」と結論づけられたことを三光神社の小田宮司にぶつけた。すると意外な答えが返ってきた。
「まぁ、正確にどこに砦があったかというのは、うちとしては、どっちゃでもええんですよ(笑い)。ともかくこのへんにあったいうんは間違いないことですからね。こういう論争をしてもらったほうが、話題になるからありがたいですわ」
そう語ってニヤリと笑った。ナニワらしい商魂たくましさだが、跡地じゃないのに「真田丸跡」を名乗るのは流石にマズい気が……。
正しい跡地と判明したエリアには、真田幸村400回忌の2014年に幸村の墓が建立された心眼寺もある。観光客を奪い合う“大阪春の陣”はこれからが本番か。
※週刊ポスト2016年3月11日号