冷たい雨がそぼ降る中、弔問客は増え続けた。会場外には三重四重の列。茶色の作務衣を着た「平成中村座」のスタッフが、周囲で人々を誘導している。
一般の弔問客のすぐ横で、中村獅童(43才)夫妻、坂東彌十郎(59才)など、名だたる歌舞伎役者が会場に入っていく。十八代目中村勘三郎(享年57)の妻・波野好江さん(56才)と共に現れたのは中村勘九郎(34才)。終始下を向き、唇を噛みしめて涙をこらえていた彼は、関係者に深々と頭を下げ、焼香後は無言のうちに車に乗り込んだ。
2月29日の午後6時、東京・浅草の東本願寺慈光殿で通夜が営まれた。亡くなったのは浅草観光連盟副会長で120年続く老舗舞扇店「荒井文扇堂」店主の荒井修氏(享年67)。実は、歌舞伎界の「中村屋」はこの男抜きには語れない。
日本の伝統芸能界はまたひとり、得がたい人間を失った。浅草で生まれ育った荒井氏が盟友である勘三郎と最初の交友を持ったのは、1980年のこと。当時、文扇堂の四代目に就任していた荒井氏は、浅草公会堂で開かれていた「初春花形歌舞伎」の楽屋に小道具係として入り浸るうち、舞台に立つ勘三郎(当時は勘九郎)と親しくなった。
互いに血気盛んな年頃。「浅草のことなら何でもわかる歌舞伎好きの扇子屋」と「浅草好きの歌舞伎役者」はたちまち意気投合し、夜の街を練り歩くようになった。
2012年に勘三郎が亡くなった時、本誌の取材で荒井氏は当時をこう振り返っていた。
「勘三郎さんとは毎晩のように飲み歩いたけど、結局、話題になるのは芝居のことばかり。お互い江戸時代に憧れていて、“昔の舞台はこうだった”とか“今の役者は着物を着こなせていない”なんてことを延々と朝まで語り合っていたんだ」
荒井氏の著書『浅草の勘三郎』(小学館)にも若き2人が浅草や青山のスナックを飲み歩くエピソードの数々が綴られている。ある日、行きつけの店に世界的なトランペット奏者の日野皓正が来た。
《日野さんのトランペットで『船弁慶』を踊るとか、いいと思わない?》(『浅草の勘三郎』より)
荒井氏は思いつきでそう話したが、後に新橋演舞場で日野のジャズと勘三郎の歌舞伎という夢の共演が実現した。
江戸を愛する2人の運命が最も強く交わったのは、1996年秋のことだった。江戸時代の浅草には中村座、市村座、森田座という「猿若三座」の芝居小屋があり、多くの庶民で空前の賑わいだったという。その光景に憧れる勘三郎が荒井氏に提案した。
「浅草にさ、江戸の空気そのまんまの芝居小屋を建てたいんだ」
荒井氏は驚いたが、勘三郎は本気だった。
「もしそんな芝居小屋ができたら、おれは一年のうち半分はそこに出るよ」