大相撲の土俵に女は上がれない──国技のしきたりをめぐり、「女性差別」だと訴える側と、「伝統」を守ろうとする側で、何度も議論は繰り返されてきた。
「大相撲は神事に基づき女性は土俵に上げないという伝統がある」──2000年、太田房江大阪府知事の「自ら土俵に上がり優勝力士に知事杯を手渡したい」という意向に、日本相撲協会はそう回答した。翌年も太田知事は再度「土俵上で手渡したい」と申し入れたが、やはり許可は下りなかった。
同様の揉め事はこれまでも繰り返され、その度に「女性差別だ」「いや伝統は守るべきだ」といった類の議論が起きた。
古くは1978年、「わんぱく相撲東京場所」で、10歳の少女が勝ち進んだにもかかわらず蔵前国技館の土俵に上がれず決勝大会出場を諦めたことがあった。当時、労働省婦人少年局長だった森山眞弓氏がこれを問題視、日本相撲協会の理事を呼び出したものの結論は変わらなかった。1990年には内閣官房長官になった森山氏が、自分が土俵に上がって内閣総理大臣杯を手渡すと言い出したが、これも拒否されている。
好角家として知られ、横綱審議委員会の委員も務めた作家の内館牧子氏はこう述べている。
「伝統の『核』を成す部分の変革に関しては……その決定は当事者にゆだねられるべきものと私は考えている……大相撲に限らず、すべての伝統に関して言えることだが、当事者はその核を連綿と守りぬき、結束してきた。
……たとえば歌舞伎の女形や宝塚歌劇のあり方に関し、現代の考え方で『男女差別に怒りを覚える。男女平等に舞台にあげよ』という訴えがあったとする。そしてもしも、それが受け入れられたなら、その時点で歌舞伎でなくなり、宝塚歌劇ではなくなる」(朝日新聞2001年3月17日付)
中でも大相撲の土俵は祭場であり、神迎えの儀式によって神を降ろし15日間とどまってもらう聖域である。取組は結界された土俵上を毎回、塩と水で清めてから行う。場所後には神送りの儀式を行い結界を解く。大相撲は、これを250年以上守り続けてきた。
内館氏は著書『女はなぜ土俵にあがれないのか』で大相撲の土俵を物理的には簡単に乗り越えられる〈無防備な結界〉の一つであるとし、それを理解するのは知性や品性だと指摘している。
一連の議論で問われたのは、現代を生きる日本人の“知性と品性”だったのかもしれない。
※SAPIO2016年4月号