1990年代に一大旋風を巻き起こした「TRF」のリーダーでありながら、最近はテレビで見せる天然ボケな立ち居振る舞いで人気のDJ KOO(54)。かつてのTRFのブレイク前夜、彼がロサンゼルスで行方不明となり、一大騒動に発展していたことを著書『EZ DO LIFE!』で打ち明け、「今に至る片鱗」と話題を集めている。DJ KOO本人が、当時のことを振り返る。
「TRFがブレイクした2ndシングル『EZ DO DANCE』のレコーディングはロンドンで行ない、帰りにロスでトランジットとなった。その際、小室(哲哉)さんから『ずっと休みを取っていないから、ロスでゆっくりしていきなよ』との提案を受け、行きつけのホテルを紹介してもらったんです」
小室と別れ、空港から一人、タクシーでホテルへと向かったKOO。ところが、案の定というか、予想通り、そのホテルは豪華絢爛な門構え。当時、DJの仕事がほとんどなく、アルバイトも辞めてしまっていた彼は、「こんなところに泊まれない」と、そのままタクシーで通り過ぎ、結局、1泊40ドルのモーテルにチェックインした。
1泊で帰る予定だったが、何もかも捨てて小室の付き人のような生活を始めてから半年余り。忙しい日常から解放され、ホテルの部屋で久しぶりに一人きりになった彼を突然、強烈な不安感が襲ったのだという。部屋を飛び出した彼は、サンタモニカのビーチをレンタサイクルでひた走った。
「帰りの便の変更がきいたので、その後も自転車でビーチをボーッと走り続けました。ある日、小室さんの『Omoide o Okizarinishite』という曲を聴きながら走っていたら、突然、グァーッと熱いものがこみ上げてきて。こんなすばらしい音楽を作る人なんだから、やっぱり何も考えず、小室さんを信じてついていこうと改めて決心できたんです」
DJ KOOが「信頼できるところはひとつでいい」、あとは信頼し続ければいいとのKOO(教)訓を得て、心持ちもすっきりさせて帰国できたのは、結局、5日後のこと。ところが、日本では大変な騒ぎになっていたという。
「紹介されたホテルにも泊まっておらず、家族にも何の連絡もなく、完全に行方不明扱いでした。エイベックスから妻には、『大変申し上げにくいのですが、消息が途切れておりまして』と、切羽詰まった連絡が入った。ボクの性格を知っている妻は、みんなの心配をよそに笑っていたそうですが……」
◆DJ KOO(ディージェイ・コー):1961年生まれ、東京都出身。数々の人気ディスコでDJを務め、日本初のノンストップ・ミックスCDなどを手がける。1993年、小室哲哉プロデュースの「TRF」活動開始。『EZ DO DANCE』『survival dAnce ~no no cry more~』『Overnight Sensation』などが次々と大ヒットし、CD総売上は2170万枚超。初の著書『EZ DO LIFE!』は、『王様のブランチ』の「文芸書ランキングTOP10」入りするなど話題沸騰中。