二〇一一年三月二十四日、福島県の須賀川市で農業を営んでいた男性が原発事故のあと、せっかく作った農作物が汚染され、出荷出来なくなったのを苦にして、自殺した。あとには長男とその母親が取残されてしまった。それから四年たって、二人は困難ななか農業を続けている。先祖から受継いできた農地を守りたいという気持が強い。
東京の若者たちが、二人の話を聞きに行く。ドキュメンタリー「大地を受け継ぐ」は、この時の様子をとらえている。農家の一室で、若者たちが長男(四十代)と、その母親を取り囲むように座り、二人の話を聞く。
見る前は、若者たちと二人の対話が始まるのかと思っていたが、まったくそうはならない。父親の自殺について語り始めた長男は、次第に話が熱を帯び、とまらなくなってしまう。あふれる思いを懸命に話し続ける。若者たちは、黙ってその話に引きこまれてゆく。
カメラはほぼ、語り続ける長男と、その隣りに座った母親をとらえ続ける。撮影者も、長男の話にただ耳を傾ける。余計なコメントも、解説もない。通常の意味での演出もない。こういうドキュメンタリーは珍しい。
長男は大学を卒業したあと八年間、いわき市のプラント会社で働いた。そして会社を辞め、家の仕事を手伝うようになった。そこに原発事故が起きた。大事に育てたキャベツもブロッコリーも出荷出来なくなった。
自殺する前に、父親は言ったという。
「おめえのこと間違った道にすすめた」
「農業を継がせて失敗だった」
家は突然、大黒柱を失なった。「会社で言えば、社長が亡くなって、平社員が二人残されたようなもの」。父親の無念を思うと、農業を続けるしかない。決して、ありきたりの原発批判をしたいのではない。ただ、いままで通り、普通に農業を続けてゆきたい。農家として誇りを持って生きてゆきたい。3.11のあと普通であることがいかに困難か。
あふれる気持を抑えられなくなり、それでも冷静に、正確に言葉を選びながら話し続ける長男の話には、若者たちだけではなく観客もまた圧倒される。地に足が着いている。土に生きようとする者の覚悟が確実に伝わってくる。
ほとんど喋らず、隣りに座って息子の話を聞いている母親の深いしわに刻まれた顔、部屋に掛けられた先祖たちの顔写真が、農家の歴史を無言で語っている。最後、東京に戻った若者たちは駅で三々五々、別れてゆく。おそらく大きな宿題を背負って。
文■川本三郎
※SAPIO2016年4月号