【書評】『六国史 ―日本書紀に始まる古代の「正史」』/遠藤慶太・著/中公新書/820円+税
【評者】山内昌之(明治大学特任教授)
六国史とは、『日本書紀』に始まり、『日本三代実録』に終わる政府編纂の「国史」六部を指す。六国史は、官報を綴じこんだ史観のない書物という低い評価もある。しかし著者は、公文書や目録を材料とした高度の情報が集約されており、政府の記録として信頼度の高い編年体だとする。事件記述として高い価値をもつと反論する。
六国史は、天皇の個人史であるとともに、国家の公式史でもある。そこで、官人の昇叙や死没のさりげない表現にも、編纂に当たった撰者の史観や政治的立場が反映している。桓武天皇とその子の天皇らの治世を扱った『日本後紀』は、とくに興味深い。
著者によれば、この史書の特徴は人物伝での評価が厳正なことだ。桓武の第九皇子の佐味親王は女色を好み、突然病に倒れたときの声はロバに似ていた。あるいは、『続日本紀』の撰者の一人、藤原継縄は政治上の実績がなく、才能も識見もなかったと手厳しい。
極め付きは、平城天皇への厳酷な評価である。天皇の人となりは猜疑心が強く、人に寛容でなく、弟の伊予親王とその子や母を殺しただけでなく、心を「内寵」に傾けたと評する。これは、天皇が愛した藤原薬子を示唆しており、天皇と薬子の政変に寄せて、「メンドリが時を告げるようになれば家は滅びる」と驚くべき叙述を続けるのだ。
これだけを見れば、『日本後紀』は天皇の治世さえ鋭く論評し、そこに批判的精神を読み解けるかもしれない。しかし著者は、全体として誰をも公平に批判しているとはいえず、天皇批判も平城天皇に限られていると指摘する。
つまり六国史は、勅撰史書として個人の「作品」ではありえず、記述を命じた天皇の視線を意識せざるをえなかったのだ。一〇世紀以後に勅撰史書が絶えたのも分かるような気がする。
その欠を補うために『昭和天皇実録』に至るまで歴代の関係者は、様々な苦労を重ねてきた。『源氏物語』も国史の断絶を補う文学作品だったという説など、興味深い知見が随所に披露されている。
※週刊ポスト2016年4月8日号