乙武洋匡氏の不倫騒動が波紋を広げている。コラムニスト・オバタカズユキ氏が謝罪文から読み解く乙武氏とは。
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古いかもしれないが、私は、不倫をするなら結婚するな、まだまだ遊びたければ独身で居続けろ、と考える人間である。同時に、ヒト様の下半身問題を云々するのはゲスであって、週刊誌が騒ぐのはそんなものだとしても、一緒になって「許せぬ、不倫野郎!」と世間が叩くのはいただけない、と思う個人主義者でもある。
だから、乙武洋匡氏の不倫問題を知った時、氏のふるまい以上に、世間の反応のほうが気になった。3月23日(水)に「デイリー新潮」の〈「乙武洋匡」氏が不倫を認める 過去を含め5人の女性と〉なる記事をヤフートピックスで読むと、すぐに世評をチェックしてみたのだが、まずはその結果がなんとも言えないものであった。
〈ざっと検索したところ、「乙武、すげー!」が多数派。
それって、氏のことを、人間として見ていないってのに近くない?〉
私は、メモ書きのように、上記の文をツイートしたのだが、その段階では、意外に乙武叩きが少なかったのである。2ちゃんねるは見ていない。チェックしたのは、主にツイッターとフェイスブックなのだけど、その過半は乙武氏の所業に「好反応」だったのである。好反応にわざわざカッコをつけているのは、もちろん、そこに言外の意味が詰め込まれているからだ。
あの世間の反応を簡単に言えば、好奇心そのものだった。何のか? そりゃあ、乙武氏の不倫現場の詳細についての興味だ。
ネット上には、彼の行為に関する、ありとあらゆる想像、妄想、揣摩臆測が飛び交っていた。その詳細を知りたい向きはググればいいので、ここでは割愛する。要は、あの身体でどうやって性交渉をしてきたのかについて、ものすごい数の人々が興味津々なのであった。
私は、「えー、そこかぁ??」と一瞬たじろいたが、だからと言って、人々の衆愚性を腐してみたいとは思わない。ゲスなニュースの反応はその程度にゲスであって当然。あの身体でどうやって~と想像することは、氏のことを人間として見ていないのに近い態度だが、氏自身も、あの身体を最大限有効活用して成り上がってきた人間だ。
入手した『週刊新潮』の記事中に、〈「爽やか」――。『五体不満足』の乙武洋匡氏(39)といえば、ほとんどの人がこのイメージを思い浮かべるだろう〉と書かれていたが、その本がベストセラーになった当時はともかく、近年の乙武氏は決して「爽やか」だけで語れる人間ではなかった。
ツイッターでは、頻繁に自虐的なジョークを飛ばし、飲食店でのご乱行なども話題になり、それこそ女好き、下ネタ好きで通っていた。ネット民の間だけで知られていたわけではない。テレビ番組でも、なかなかブラックなトークをかましていたし、「あの人はすごいよ」と何人もの芸人らが、氏のやんちゃぶりを語っていたものである。乙武=爽やか、という図式は、週刊新潮が彼のスキャンダルを報じるに都合のいいからそうしたのか、同誌の認識が10年遅れなのか、どっちかだ。
それはともかく、あの身体を盾にして、けっこうな毒も吐き、のしあがっていく乙武氏に、私は期待するものがあった。障害者が「かわいそうな人」ではなく、健常者と同じように人それぞれであるという常識を、彼ほど自然に、かつ説得的に広めてきた人間はいないと思っていたからである。