慰安婦関連資料のユネスコ世界記憶遺産登録を推進する中国が、プロパガンダを活発化させている。そうしたなか、中国人元慰安婦による証言が映画化され、昨年から日本各地で上映会が始まった。一体どのような内容なのか。
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〈(山西省の日本軍の駐屯地の)真っ暗なヤオトン(中国式の横穴住居)に監禁され、用をたすときだけ外に出られました。食べていないので何も出ないが、外に出たいのでトイレに行って背をのばす。太陽の光がほしかった〉
現在、上映中の映画『太陽がほしい「慰安婦」とよばれた中国女性たちの人生の記録』のパンフレットにはこんな証言が掲載されている。
映画は在日中国人の班忠義監督が20年かけて製作し、著書『声なき人たちに光を 旧軍人と中国人“慰安婦”の20年間の記録』の刊行と同時に全国で上映会が行われてきた。
これらの作品には多くの「中国人慰安婦」が実名で登場。映画では11名が証言し日本兵を糾弾するが、その内容には疑問符がつく。
例えば冒頭の証言をした劉面換さんは16歳の時、山西省で日本兵と漢奸(日本軍の手先の中国人)に拉致され、ヤオトンに監禁され何度も強姦されたというが、彼女のことを「慰安婦」とは言い難い。
慰安婦は戦時下における「公娼」だが、この時期の山西省に公的な「慰安所」はなかったと考えられる。今回の映画と本では、山西省出身の多くの中国人女性が1942年ごろ強制連行されたと主張するが、評論家の黄文雄氏は、「信憑性は薄い」と指摘する。
「盧溝橋事件の翌38年、蒋介石最大のライバルの一人である閻錫山の山西省臨時政府が成立すると、日本軍の大部分は山西省から離れた。また、41年に大東亜戦争が勃発すると中国にいた日本軍は大挙して東南アジアへ移動し、山西省では中国共産党の八路軍によるゲリラ活動が活発になった。この時期、日本軍が組織的に当地で婦女を連行して慰安所を開くなど考えられない」
『月刊中国』主幹で中国から帰化した鳴霞氏も同じ見解だ。
「中国共産党系の河北人民出版社が97年に発行した『近代中国娼妓史料』には、戦時中に中国国民党軍の支配下にあった各地の慰安所の様子が詳しく書かれています。この学術史料は上下巻数百ページに及び、山西省・太原にあった娼館の記述もありますが、日本軍の慰安所に関する記述は皆無です。この地域で日本軍が組織的に女性を連行し、暴行した事実があれば、この史料に記載があるはずです」
以上のことから、山西省で発生したのは、現地の漢奸と結託した日本兵が「私的」に犯した性犯罪と考えられる。