『1989年のテレビっ子』(双葉社)という本が、当時テレビっ子だったR40世代を中心に話題を呼んでいる。
1989年といえば、世界を見渡すと、パワーバランスが大きく変わった年でもある。音楽評論家の湯川れい子さん(80才)は、非常に印象的な年だったと回顧する。
「あの年のことは本当によく覚えています。1987年にデヴィッド・ボウイが、独・西ベルリンで野外コンサートを行って、東ベルリン側へスピーカーを向け、ドイツ語で若者たちへ自由を伝えた話は有名ですが、それもあって、1989年の11月にはいよいよベルリンの壁が崩壊するわけです。翌12月には米ソ首脳会談が行われ、ブッシュとゴルバチョフが冷戦終結の握手をする。核の恐怖のない、世界平和がいよいよ始まるというわくわくする気持ちでいっぱいでした。
美空ひばりさんが亡くなったり、昭和天皇崩御という喪失感もありましたが、平和への希望もまた大きく沸いた年でもありましたね。あの頃と比べて今はどうなんだ、という感じですけれど」
「あのとき」と「今」。いちばんの違いは、インターネットの有無ではないか。何か失態を犯せば、その日のうちに日本中に拡散される。匿名ゆえの罵詈雑言に終わりはない。しかも一度広まった“噂”や“画像”は二度と回収できない。
もちろんネットの恩恵は充分すぎるほど受けているから否定できないが、ネットがなかったからこその人間関係もあった。著述家・湯山玲子さん(55才)はこう語る。
「ネットに自分がさらされてしまう恐怖感が全世代に蔓延しています。失敗を恐れ、無難を選び、パワーが出せなくなっていますよね。昔は飲み屋で大失敗しても、みんな忘れてくれましたけど今はそうはいかない」(湯山さん)
コラムニストの辛酸なめ子さんも続ける。
「芸能人への幻想が保たれていましたよね。好きなアーティストのことを知りたければ、ライブに行ったり、出待ちして情報を収集していました。それにSNSやLINEがないので、人とかかわるには直接会うしかなくて。バンドの練習や友達との遊びは、交換ノートや家の電話を活用していました。だから人間関係がディープでリアリティーがありました」
この年の流行語大賞に『セクハラ』が選ばれている。しかし、今ほどのハラスメント社会では決してなかった。
「何事もよしあしはあって、捉え方次第だと思うんです。今はセクハラだけじゃなく、アルハラ、オワハラ、パワハラ、マタハラ…など、ありとあらゆるハラスメントが氾濫しています。まだこの時代には生まれていなかった“ママ友”も、今は同性ゆえに悩みの種になっていたりもします。
いまだに女性にしてみたら生きづらい世の中だし、不満はあります。でも、何事も紋切型に“こうあるべき”と主張しすぎるのはどうでしょうね。男だからとか女だからじゃなくて、人間として何が大切なのか、愛をもって物事を見渡せば、不自由さって、きっと解消できる気がするんです」(湯川さん)
※女性セブン2016年3月31・4月7日号