なんでも謝る人たちが増えている。それが行き着く社会とは。フリーライター・神田憲行氏が考える。
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SNSの世界では「謝ったら死ぬ病」というのがある。自分の発言の事実関係の間違いを指摘されても、絶対に誤りを認めようとしない人たちのことだ。まるで謝ったら即死するかのように、頑なに間違いを認めようとしない。
逆に「なにがなんでも謝ってもらわないと死ぬ病」の人もいる。たとえば見知らぬ人が「焼肉美味しかった」とつぶやけば、「私は貧しくて焼肉なんて食べられません。あなたのツイートに傷つきました。謝ってください」というような人だ。SNSは自己の承認欲求を満たす装置なので、いずれもフォアグラのように自己を肥大化させた人たちの姿である。
一方でリアル社会では「なにがなんでも謝らせてください病」が進行しているようだ。週刊新潮で複数の女性との不倫を報じられた乙武洋匡氏のホームページでは、乙武氏だけでなく妻の仁美さんの「お詫び」まで掲載した。なんで浮気された妻が謝っているのか、「このような事態を招いたことについては、妻である私にも責任の一端があると感じております」という一文に、頭の上にでっかい「?」マークを点滅させた人は多い。
埼玉県で起きた女子中学生誘拐事件では、容疑者が通っていた千葉大学が徳久剛史学長名で謝罪文を公表した。
《このたび,本学工学部の卒業生が,未成年誘拐の容疑で身柄確保されましたことは,誠に遺憾であり,事件の被害者の方・ご家族のみなさまはもとより,世間のみなさまに多大なご迷惑とご心配をおかけしましたことを,心よりお詫び申し上げます。大変に申し訳ございませんでした》
《今後,このようなことがないよう学生への指導に努めてまいります》
《なお,当該者の処分については,卒業取り消しも含め,今後学内で検討していく予定になっております》
大学が管理責任を負う学内で起きた事件・事故ならいざしらず、学生が学外で起こした犯罪にまで大学は責任があるのだろうか。大学に電話してくるクレーマーのような存在を想定して先回りしたのかも知れないが、「卒業取り消し」はいくらなんでもやり過ぎだ。
乙武氏の奥さんもそうだが、世間を騒がせたので謝るという姿勢が私にはわからない。
簡単に謝罪する社会は、簡単に人に謝罪を求める社会につながる。なんか嫌な世の中だなあと感じていたら、やっぱりこんなことが起きていた。
3月30日の毎日新聞によると、産経新聞社が日本野球機構(NPB)から記事の抗議を受け、施設内の立ち入りを拒否されているというのである。