かつて米証券会社ソロモン・ブラザーズの高収益部門の一員として活躍し、巨額の報酬を得て退社した赤城盾氏によるエッセイ。年初の世界的な株価下落と米大統領選から、日本経済の行方を読み解く。
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2016年の株式市場は、大発会から急落に次ぐ急落、1月21日にドラギECB(欧州中央銀行)総裁の3月緩和宣言に助けられて1万6017円で一息入れるまで、13営業日中11営業日が下落という惨憺たるスタートとなった。日経平均株価を見ても、前年12月の高値2万12円から1月安値までの下落率は2割にも達した。
これほど惨めな新年相場は、私の個人的な印象としては、バブルが崩壊した1990年以来のことである。この年、下げ止まらぬ日経平均は3月末に3万円を割り、10月1日に2万222円の安値をつけた。日本の株価はわずか9か月で半値となってしまったのである。この大暴落は、その後の日本経済が長期にわたって低迷することを不気味なほど正しく予言していたといえよう。
年の初めの値動きが似ているからといって、今年は暴落するだろうなどと予言するつもりはない。ただ、似たようなことは、似たような状況で起きるものではある。
1989年当時、日本の株式市場は平均PER(株価収益率)70倍の異常な高値水準にあった。海外投資家はすでに1987年から売り越しに転じており、大物投資家のジョージ・ソロス氏が空売りで大損を出したという噂も聞こえてきた。
一方、現在のPERは10倍台で、歴史的に見て適正な範囲に収まっている。しかし、GPIF(年金積立金管理運用独立行政法人)や日銀のETF(上場投資信託)買いで持ち上げられ、さらに、郵政3社株の売り出しのために全証券会社が必死の営業努力で支えた結果の株価だと考えれば、相当に割高であったとしてもおかしくはない。
◆FRBはかつてバブル期の日銀の役割を世界的規模で果たす
バブル期にPER70倍の株価を支えたのは、プラザ合意(※注)後の円高不況を受けて、公定歩合を当時としては異例の低さである2.5%まで引き下げた、日銀の金融緩和政策であった。
【※プラザ合意/1985年9月に開催された先進5か国蔵相・中央銀行総裁会議(G5)で討議されたドル高是正のための施策。以降、円高ドル安が急速に進行した】
ところが、日銀は1989年5月に9年ぶりの利上げに転じていた。そして、12月に大蔵省出身の澄田智氏に代わって総裁に就任した生え抜きエリートの三重野康氏は、バブルを潰すための金融引き締めを唱え、株価が暴落する中、公定歩合を1990年8月の6%まで着々と引き上げていった。
このような史実を頭に入れた上で昨年来の株式市場を振り返れば、FRB(米連邦準備制度理事会)が、かつての日銀の役回りを、世界的な規模で果たしていることに気づかれるであろう。
昨今の新興国からの資金流出も、原油価格の下落も、2008年のリーマン・ショックへの対策として打ち出された空前の量的緩和の縮小の副産物である。中国経済変調の一因も、ドルにペッグする人民元の実効レート上昇に求められる。
そして、昨年12月、FRBは、ついに政策金利を引き上げた。このままアメリカの利上げが続くのかと恐れおののき、世界の株式市場が悲鳴を上げた。それが、年初からの急落の一因である。
幸い、今日では、当時の三重野氏のような“蛮勇”をふるう中央銀行総裁は存在しない。日本の失敗に学び、金融政策の決定に際して株価の動向に十分に配慮することは世界の常識となっている。
もしアメリカの株価が下げ止まらなければ、イエレンFRB議長は利上げを停止し、必要とあらば更なる緩和の手段を模索するであろう。
◆構造的変化の予兆は米大統領選の行方から見極められる
さて、今にして顧みれば、あのバブルの崩壊は、日本経済の置かれた国際的な環境が構造的に変化しつつあったことを暗示していたように思われる。
1980年代後半にソ連圏の経済運営が行き詰まり、1989年11月にはベルリンの壁が壊され、1991年12月にソ連が崩壊して、東西冷戦は完全に終わった。
アメリカ経済に「平和の配当」をもたらした冷戦の終結は、日本にとっては、アメリカの「不沈空母」(中曽根康弘元首相)となって軍事費をセーブし、製造業に資源を集中して輸出で稼ぐ、幸福な時代の終わりを意味していた。
実際、東西の緊張緩和が進むにつれて日米貿易摩擦は激しさを増し、平和になった世界ではあちこちの地域が工業化されて、日本国内の製造業は競争力を失っていったのである。
そういう観点から今年を展望すれば、なんといってもアメリカ大統領選の行方が気にかかる。万一、日米安保条約に批判的であり、雇用確保のための保護貿易を是とするドナルド・トランプ氏が当選するならば、日本の株式市場は壊滅的な打撃を受けるだろう。
そして、誰が大統領になるにせよ、トランプ氏への支持が高まるほどに、その主張をまったく無視することは難しくなる。
日本では暴言だけが注目されがちであるが、泡沫候補であるべきトランプ氏の躍進は、富の偏在に対する不満と既存の政治勢力に対する不信が、私たちの想像以上にアメリカ社会を蝕んでいることの証しと見るべきであろう。
シェール革命(※注)によってエネルギー自給が可能になっているのに、なぜ、アメリカ国民が世界の安全保障のために巨額の軍事費を負担しなければならないのか?
【※シェール革命/シェール(頁岩)層から天然ガスや原油を低コストで採掘できるようになり、米国を中心に採掘が本格化している。これにより、米国は世界最大のエネルギー生産国となろうとしている】
自由貿易の恩恵は大企業と富裕層のみに留まり、貧富の格差は拡大するばかりなのか?
今年の大統領選は、今後、こういう問いかけにアメリカの政治が真剣に向き合わざるを得なくなるリスクの度合いを見極めるための貴重な機会となろう。
※マネーポスト2016年春号