【書評】『謎解きモナ・リザ 見方の極意 名画の理由』西岡文彦・著/河出文庫/740円+税
【評者】池内紀(ドイツ文学者・エッセイスト)
世界でもっとも有名な肖像画「モナ・リザ」。謎めいた微笑と、全体がもっている何かしら不思議な雰囲気が、さまざまな憶測をよんできた。
謎だらけの名画ときて、全12章をたどりながらワクワクする。モデルが取り沙汰されたのは昔からだと思っていたが、そうではない、一九一一年の有名な「モナ・リザ盗難事件」以降のことだという。シャーロック・ホームズが活躍し、「オペラ座の怪人」が登場するのと同時代であって、だからこそ「モデル問題をミステリーへと仕立て上げる」ことになった。
「『モナ・リザ』は未完成である。その描写は文字通り「画竜点晴」を欠いており、ダ・ヴィンチが意識して仕上げの作業を手控えていた節もある」
西岡版謎解きのキーワードは「未完成」だ。『モナ・リザ』にかぎらない。ほとんどあらゆること、また残された作品において、未完成にとどまったダ・ヴィンチ。「万能の天才」と称された人の未完成に終わらなくてはならなかった運命的なものが語られていく。この本を単なる謎解きのゲームにとどめない理由である。
ヨーロッパ絵画に油彩という新技術が登場した時代に立ち会い、それを最初にマスターして、しかも「その技術を最高の境地にまで導いた画家」。『モナ・リザ』は「スフマート」と呼ばれる紗をかけたようなぼかしの表現で統一されているが、その手法と後代のティツィアーノ、レンブラント、ベラスケス、はては印象派のマネの画風まで、絵画の見方をおそわったぐあいだ。この点これまで、実のところ何も見ていなかったというしかないのである。
形どおりの天才ではなく、ここには血の通った人間ダ・ヴィンチがいる。完璧をめざして妥協を知らず、妥協を強いられるとはげしく怒り、人に伝えるときはあからさまに告げ、齢とともに孤立が深まっていく。心を許せる者はいない。『モナ・リザ』の謎解きが、より大きな謎解きへとひろがっていくのがスリリングだ。
※週刊ポスト2016年4月15日号