【書評】『韓国はどこへ? その「国のかたち」の変質と行方』/黒田勝弘・著/海竜社/1500円+税
【評者】関川夏央(作家)
読みとおすのがつらい本である。それはこの本と著者の責任ではない。自己都合による「歴史歪曲」を「正しい歴史認識」「あるべき歴史観」として国民に植えつけ、日本に押しつける現代韓国のあり方の責任である。
その源には、韓国の「解放」「独立」が自分で勝ち取ったものではない、という悔しさがある。その事実を「隠蔽」「脚色」したい欲望が「歪曲」を生む。「民主化」以来、他者論難に極端な独善性が加わるようになった。
「正しい歴史認識をせよ」とは歴史的事実を認めろということではない。韓国が「かくあって欲しかった」歴史の物語に合わせろといっている。慰安婦問題で居丈高なNGO「挺対協」だが、慰安婦と女子挺身隊を混同している。
私の母も女専のとき挺身隊として工場に動員された。歴史を知らず、間違いに気づいても改めない。ばかりか、ソウルの日本大使館前に「慰安婦少女像」を建てて嫌がらせをする。抗議しても「民間が自発的に設置した」と逃げる。
「国際的常識はもちろん不法、違法意識がまったくないことは驚きである。むしろその不法性、違法性を外交上の取引のカードに使っているのだ」と黒田勝弘は書く。北朝鮮と同じレベルに堕した韓国は「賞味期限切れ」だと、戦後日本のコリア研究・コリア取材の草分けにして、超長期的に韓国に住んでウォッチする彼にいわれては立つ瀬がない。
すでに先進国化して四半世紀、なのに韓国は「自己都合」の夢を見つづける。「コリア民族主義」に執着するなら、同民族である北朝鮮の犯罪と恥に対しても責任を感じて然るべきだ。
うつろな民族主義が東アジアの安全保障を危うくしない限り、私たちとしては「歴史歪曲」はむろん、かりに「妥当な歴史認識」に達したと先方がいったとしても、反応する必要はなさそうだ。
ヘイトスピーチは無用。「友好」もいらない。ただ観光客の往来に任せて、沈黙の微笑で報いるのがよいだろう。
※週刊ポスト2016年4月22日号