4月4日にスタートしたNHK朝の連続テレビ小説『とと姉ちゃん』の初週の週間平均視聴率は21.7%を記録し、『あさが来た』の20.3%を上回った。初週のハイライトといえば、西島秀俊演じる「とと」こと小橋竹蔵が結核によりこの世を去ったことだろうか。
死を覚悟した竹蔵が長女の常子に「ととの代わりになってほしい」と思いを託すシーンは涙を誘ったが、竹蔵がこの世を去る場面は映像では描かれず、「3日後に、竹蔵は息を引き取りました」とナレーションで伝えるだけという、あっさりしたものだった。
このようにナレーションだけで登場人物の死を伝える演出法を、ネット民たちは「ナレ死」と呼んでいる。『あさが来た』でもこのナレ死はよく使われていたが、その意図はどこにあるのか。
ドラマ評論家の成馬零一さんはこう語る。
「1961年から放送されているNHKの朝ドラは、もともと映像よりも言葉の比重が大きく、耳で楽しむラジオドラマに強い影響を受けています。そのため初期の頃は、今よりもナレーションでの説明が多かった。今でも民放ドラマに比べてナレーションが多いのは、『連続テレビ小説』ということを意識しているからだといえます。
朝ドラでも登場人物の死を映像で見せることはありますが、朝からそういうシーンを見せられると視聴者も気分が重くなるので、ナレーションで済ませることが多いのだ思います。また、朝ドラに多い老衰死や病死などは、事故や事件による突然死と違って描きにくいという事情もあると思います」(成馬さん・以下「」内同)
確かに朝から人が死ぬのを見せられるのはつらい。思い入れのある登場人物であればなおさらだ。先月には、『あさが来た』で、山王寺屋の父役・眉山栄達(辰巳琢郎)の死が「夏となり、和歌山では栄達が亡くなってひと月が経とうとしていました」とナレーションで紹介。主要な登場人物でもあるにも関わらず、“1か月前に死んでいた”ということがあっさりと描かれ、ネット民に衝撃を与えた。
このナレ死という手法は、同じNHKの大河ドラマ『真田丸』でもよく使われている。こちらは朝の事情は関係ないはずだが…?
「『真田丸』は、普通の大河ドラマなら山場となるところをスルーしている特殊なケースですが、これは脚本を書いている三谷幸喜さんのテクニックだといえます。作品の中で全部を描こうとすると冗長になってしまうので、三谷さんはあえてナレーションを使って場面を省略し、自分が描きたい他のシーンを増やそうとしているのだと思います」
『真田丸』では、織田信長や明智光秀といった、歴史上の重要人物までもがナレ死した。朝も夜もナレ死。ドラマ冬の時代に一人勝ちといわれるNHKの手法を参考に、各局にもナレ死は広がるのだろうか。
「ナレーションで死を説明する手法は、そもそも時間を飛ばすために使っているものなので、朝ドラや大河ドラマのように時間の経過が長い物語ではよく使われます。民放でも時代劇なら使われることはあると思いますが、実際の時間の流れと同じくらいのペースで進む現代ドラマでは、あまり使う必要がないと思います。
またそれ以前の話として、民放はNHKと違うことをやらないといけないので、NHKでナレーションを使った描写が増えることで、人が亡くなる場面に限らず、もっと生々しい描写が増える流れになるかもしれません。たとえば福山雅治さん主演の月9ドラマ『ラヴソング』(フジテレビ系)でも、吃音のヒロインとのコミュニケーションが生々しく描かれています」
あっさり派とこってり派の違いだと考えれば、ナレ死というものもドラマの面白さには直接影響はないのかもしれない。