小林よしのり氏が気炎を上げる。テレビ報道はもう終わった、と。向かう先は、『朝まで生テレビ!』(テレビ朝日)の司会者として、その道の先頭を走り続けてきた田原総一朗氏だ。同氏はまだまだテレビには力が残されている、と返す。高市早苗総務大臣の「停波発言」の波紋が収まらないなか、2人は昨今のテレビ界についてどう考えるのか?
田原:例えば、昔、昭和天皇が病気になったときがあった。それで自粛ムードが漂ってるときに、プロデューサーが、当時の小田久栄門っていう編成局長に、今こそ天皇論をやるべきだと言った。でも何度頼んでも「バカヤロー!」って取り付く島もなかった。だから4度目は、僕も一緒に行って、企画を変えました、と。ちょうどソウル五輪があった直後だったので、「オリンピックと日本人」でいきたいと言ったら、それでゴーサインが出た。
でも僕は本番で、一時間ぐらいしたところで、「今こそ天皇制について論じ合うべきだ」と言って、パネリストを入れ替えて天皇論にテーマを変えたんです。そしたら視聴率が3倍ぐらいよかった。
そのとき偉かったのは小田さんも、どうも欺されてることを承知でOKしたんだな。月曜日に小田さんに謝りに行ったら、悪いけど大晦日にもう一回やってっていう話になった。そういうことは割によくあった。
小林:田原さんの場合は、そうやってタブーに挑戦したり、政権批判をしても、ある程度、視聴率を取れるから許されているところもある。
田原:取れなきゃダメなのよ。被差別部落の問題も大事な問題だから3回やったけど、同じような経緯です。最近で言えば、暴力団排除条例もやった。警察の心証を害するんじゃないかなというテーマですから、上とケンカに近い交渉をしながら実現にこぎつけているわけです。
小林:それは田原さんが、そういう手腕があったからできた。でもそういう駆け引きができない人がほとんどだから、いろいろなキャスターが降ろされたり、番組が変更されたりとかっていう風になっていってるわけですよ。
『クローズアップ現代』の国谷裕子さんが降ろされたのも、不思議でたまらない。国谷さんって、相当な知識量の持ち主ですよ。ありとあらゆる問題に、何十年間も携わっている。それを違う人間が補うなんてことはまずできない。