投資で1億円超えを達成した人を、いつからか「億り人」と呼ぶようになった。2000年代初頭に資産10億円を達成したハンドルネーム「DAIBOUCHOU」さん(40代・投資歴16年)もその一人。その後の金融危機やアベノミクス相場でどう戦ってきたのか。DAIBOUCHOUさんが、自身の投資遍歴を振り返る。
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2000年5月に200万円で株式投資を始め、2006年には10億円を達成──まさに資産が“大膨張”したのですが、同年のライブドア・ショックやその後の相次ぐ金融危機で大きく減らし、株式投資では本当に天国と地獄を見てきました。
株を始めた頃は投資に関する本がまだ少なかったのですが、「会社が持っている純資産より、時価総額が低いなんておかしい」と思い、西濃運輸やトヨタの関連企業を買いました。結果的にそれが「低PBR(株価純資産倍率)銘柄」だったのは後から学びましたね。
最初の転機は2003年。りそな銀行に公的資金が注入されるなど金融不安から全体株価が低迷しているなか、フージャースコーポレーションやアーネストワンといった低価格の戸建て住宅を販売する「パワービルダー」と呼ばれる企業に注目しました。
不況で土地を安く仕入れられるうえ、不景気で安い住宅を販売する会社は伸びるだろうと思ったんです。ほかに不動産流動化関連など、どれもPBRが1桁に放置されていたので、信用取引も使って合計1000万円ほど投資しました。
この全力集中投資が大成功。株を始めて1年後の2004年には資産1億円を達成し、その後もぐんぐん資産が殖え、2006年1月にはついに10億円を達成しました。
2004年に会社員をやめ、専業投資家になったのを機に信用取引は減らしました。それでもライブドア・ショックでは大きな痛手を負ったのですが、中国株の上昇がカバーしてくれました。
2008年には日清食品や永谷園、Jリート(不動産投資信託)などのディフェンシブ銘柄にシフトしましたが、リーマン・ショック後は毎日1000万円減るような日が続いて……嫁から「もう止めたほうがいいんじゃない?」といわれ、株式市場から撤退。自宅と賃貸用不動産を購入し、安定収入を確保したんです。
実はこのとき、ヘタな下心を出してしまって……不動産購入資金の半分くらいを、私募ファンドに投資したんです。ところが、いざお金が必要になって売ろうと思ったら「満期まで解約できない」といわれ、とても苦労しました。結局、投資額の半分になって解約できたのですが、戻ってくるかも怪しかったので、半分でも戻ってきただけでありがたかったです……。
この資金をもとに株式投資を再開したのですが、これはもう絶対に減らせないお金。クスリのアオキやシップヘルスケアHDといった低PBR銘柄を買いました。思えば、株を始めた2000年の頃の原点に戻った気がします。
今は成長株と優待・高配当株など、150銘柄ほどを保有しています。投資家仲間もでき、本当に株をやっていてよかったと思います。ただ、リーマン・ショック後、生活のためとはいえ不動産に資金をシフトし、株式市場からは退場しました。投資家として生き残るための“守り”ができなかった、と反省しています。
16年間市場を見てきて思うのは、ショック時の底値は辛いけど、やっぱりチャンス。そのチャンスに買えないことのほうがもっと辛い。生き残ればチャンスを掴めるわけですから、今は「生きてるだけで丸儲け」という言葉が身に染みますね。
※マネーポスト2016年春号