今から半世紀ほど前、憲法改正を訴え決起した小説家は、愛刀で歴史を変えようと試みた──。
遺作『豊穣の海』を書き上げた1970年(昭和45年)11月25日、作家・三島由紀夫は自ら結成した「楯の会」のメンバー4人と陸上自衛隊市ヶ谷駐屯地に乗り込んだ。憲法9条2項がある限り、自衛隊は「違憲の存在」でしかないと見ていた三島は、愛刀を手にしながら自衛官約1000人の前で憲法改正のため決起を促す演説を行った。約20分の演説後、総監室に戻った三島は割腹自決を図る。
このとき三島を介錯した「関の孫六」こそ、剣道家で渋谷大盛堂(たいせいどう)書店の社長だった舩坂弘(ふなさかひろし)が著書の序文の礼として三島に贈ったものだった。三島はこれを軍刀拵えに直し、事件当日身につけていた。
三島の介錯は同行した森田必勝(まさかつ)が行ったが、一太刀で切ることはできず、二太刀、三太刀目を振るうもうまく介錯できなかった。そこで古賀浩靖が刀を受け取り代わりに一太刀で三島を介錯した。
関の孫六は介錯の衝撃で真中からS字に曲がったという。
※SAPIO2016年5月号