欧米人による本格的な日本論が登場したのは戦後間もない1946年。米国の文化人類学者、ルース・ベネディクトが著した『菊と刀』は、日本と激しい戦火を交えた米国民の好奇心を掻き立てた。戦後の奇跡的な復興、経済大国化、バブル崩壊後の日本の衰退を、欧米の人々はどのように捉え論じてきたのか。「日本論」の1980年代後半までの日本が強かった頃の変遷を辿る。
敗戦から立ち直り、高度経済成長を迎えた日本。米国の社会学者、エズラ・F・ヴォーゲルは『ジャパン・アズ・ナンバーワン』(1979)で、日本の経済的成功は「勤勉」「克己心」など昔ながらの美徳によるものではなく、《日本独特の組織力、政策、計画によって意図的にもたらされた》と分析。
「長期的利益の重視」「年功序列・終身雇用」「従業員の会社への忠誠心」などを特徴とする日本的経営を礼賛した。同書は日本で70万部超のベストセラーになった。
日本の経済成長は通産省の貢献によると分析したのは、元CIA顧問チャーマーズ・ジョンソンの『通産省と日本の奇跡』(1982)。経済官僚が民間と協力して目標達成をめざす日本を「発展志向型国家」と分類し、市場を重視する「規制志向型国家」の米国などとは異なる国として対比させた。
『欧米メディア・知日派の日本論』(光文社刊)の著者でKDDI総研の小林雅一・リサーチフェローは、この2冊の延長線上に「日本異質論」(*)が登場したと見る。
【*日本の経済・政治・社会構造は特殊で、基本的に欧米諸国と異なるという主張。日本の経済的台頭を警戒するリビジョニストの論拠となった】
「1980年代後半に日本経済が最盛期を迎えて日米貿易摩擦が激化すると、米国に“日本はオレたちと違う”と主張する『日本見直し論者』(リビジョニスト)が登場し、米メディアはジャパン・バッシング一色になりました」
リビジョニストの草分けである米ジャーナリストのジェームズ・ファローズは『日本封じ込め』(1989)で、「不平等な競争」「金権政治」「基本原理の欠如」といった日本の特殊性を列挙し、日米の利害関係は根本的に対立すると断言。日本が市場を閉ざしたまま外国への輸出攻勢を続けると、米国が築き上げた自由貿易制度が崩壊すると強調し、「日本封じ込め」を訴えた。