日本マクドナルドのサラ・カサノバ社長兼CEO(51)は、会見ではクールなできる女性のイメージだったが、その本当のキャラクターを推し量ったメデイアはあまりない。そこで、女性セブンではそんなカサノバ氏の素顔に迫った。カサノバ氏とはどんな存在なのか?(インタビュー・構成/山川徹 撮影・ヤナガワゴーッ! 文中敬称略)
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1965年、カナダ・オンタリオ州に生まれたカサノバ。人口5000人に満たない村で教師の父と専業主婦の母のもとで育った。
水泳、フィギュアスケート、アイスホッケー、バスケットボール、バレーボールなどに取り組む活発な子供だった。なかでも水泳は「大学時代、授業を受けるよりもプールに浸かっている時間の方が長かった」と語るほど熱心に打ち込んだ。
子供好きの原点は、「学生の頃、幼い子供や小学生に水泳のコーチをやっていて、彼らが少しずつ成長していく姿に心打たれたこと」だという。
マクドナルドとの出合いは小学生低学年の頃。初めて食べたのは父に連れられていったカナダ最大の都市トロント。父に「お前はまだ小さいからビッグマックはまだ早いよ」と言われてますますビッグマックが食べたくなったとカサノバは笑う。
「その頃からいつかマクドナルドで働きたいと思うようになったの」
国際マーケティングを学んでいた大学時代の論文のテーマは「ロシア・モスクワに進出したばかりのマクドナルドについて」。ソビエト進出を担当したマクドナルド・カナダの幹部にインタビューしたことが縁となり、1991年、マクドナルド・カナダに入社する。
最初の職場は、野球のメジャーリーグのチーム「トロント・ブルージェイズ」の本拠地・スカイドームで、マーケティングを担当した。その翌年8月にはロシアに渡るが、当時はソ連崩壊直後で混乱のさなか。正直、悩んでしまったという。
「母は『何? どうしたの?』なんて興奮気味でしたけれど…。父のおかげでロシア行きが決断できました。チャンスだから絶対に行きなさいと背中を押してくれたんです。最悪でも失敗するだけでしょ、と。やってみなければ、何もわからないなとチャレンジできたんです」
ロシア勤務後はトルコに赴任。1997年に再びロシアやウクライナ、ベラルーシのマーケティングを担当し、2001年にカナダに帰国。2004年から5年間は、日本マクドナルドのCMO(マーケティング責任者)を務め、2009年にはマレーシアのマクドナルドの経営責任者であるマネージングディレクターに就任した。
ロシアへの一歩は、彼女の人生を大きく変える決断だった。ビジネスマンとしてのキャリアだけではない。ロシアで生涯の伴侶となる男性と出会ったからだ。
「当時、モスクワにあるアメリカ政府関連の施設で建て替えの工事が行われていました。その工事現場で電気技師として働いていたのが、アメリカからやってきた夫でした。知人の紹介で知り合い、2001年にカナダで結婚しました」