名刀と呼ばれるものの中には、人から人へと渡るうちに歴史の襞の裡に消えてしまったものや、災害や火難で破損、焼失したものもある。
こうした名刀を復元しようという動きが最近相次いでいる。昨年11月には、1300年頃の作といわれ終戦後の混乱の中で行方不明となった名刀「蛍丸(ほたるまる)」の復元プロジェクトが、クラウドファンディング(ネットで出資者を募る方法)を利用してスタートした。
一振りの名刀に挑む刀匠の姿を時代小説家の牧秀彦氏が『古刀再現』(新紀元社刊)という書籍で紹介している。きっかけは、人間国宝・宮入行平氏の高弟である刀匠・藤安将平氏との出会いだった。古(いにしえ) の刀に魅せられ、再現することに長年心血を注いできた藤安氏と牧氏は、幻の名刀「燭台切光忠(しょくきりだいみつただ)」をモチーフに選んだ。信長、秀吉、伊達政宗の許を経て水戸徳川の家宝となった一振りである。
燭台切の異名は、政宗が罪を犯した近侍の家臣を銅の燭台ごと両断にしたことが由来。この燭台切は関東大震災の火事で焼失したとされていた(*)。
【*2015年、徳川ミュージアム(茨城県水戸市)にて焼身のまま保存されていたことが判明。初の一般公開が実現した。さらに今年、徳川ミュージアム自ら復元に取り組むことが発表された。】
日本刀造りの工程は複雑だ。まずは刀身の材料となる玉鋼(たまはがね)に、水圧(みずへ)しと積み沸かしという下ごしらえを行う。そして軟らかい心鉄(しんがね)と硬度の高い皮鉄(かわがね)に分けた鋼をそれぞれ熱して打ち叩き、折り返しては鍛錬することを繰り返し均一に鍛え上げる。
皮鉄に心鉄を組み合わせ、細く長く打ち延ばすのが造り込み。さらに鎚で叩き、素延べ・火造り・生仕上げという工程を経て全体の姿を整えた後、刃文(※)を生み出す工程の土置き・焼き入れ・焼き戻しを終えると、研ぎを経て一振りの刀が完成する。
(※「刃文」(はもん)とは、刀身を焼き入れたときに鉄の性質が変化した部分。刃文の形は流派や刀匠によって様々な種類に分類される。日本刀鑑賞の際に最も目に付く部分。)
鋼を熱する火床(ほど)の温度を保つため、一振りを完成させるまでに消費する炭は約百キロ。造り込みを終えた後の工程はすべて手作業で、一打ちでも失敗すると鋼の鍛錬からやり直しになるため、気の遠くなるような集中力を要する。刀匠はまさに魂を込めて刀を造るのである。
失われた名刀である以上、探求と想像を重ね、手探りでその時代の刀鍛冶の気持ちになり、造るしかないのだろう。それはまさに刀とは何であるのかと向き合い続けた当時の刀匠と対峙する作業でもある。技術だけではない、精神のやりとりがそこにはある。
※SAPIO2016年5月号