神代の昔から、日本で刀剣は特別な意味を持っていた。
日本書紀や古事記には、イザナギノミコトから子のスサノオに受け継がれた「十握剣(とつかのつるぎ)」や、スサノオがヤマタノオロチを退治した際にその尾から現れた「天叢雲剣(あまのむらくものつるぎ)」という剣が登場する。天叢雲剣は三種の神器の一つ「草薙剣」として十二代景行天皇の御代まで伊勢神宮に安置され、現在は熱田神宮の御神体となっている。これらはいずれも神性の象徴であり、天皇の権威の象徴であった。
歴史の上でも、刀は「天皇の権力委任の証し」として用いられる。征夷大将軍などの武官や遣唐使の大使が勅令を奉じた際に下賜される「節刀(せっとう)」がそれであり、蝦夷討伐を命じられた坂上田村麻呂に桓武天皇が授けた例などが有名である。幕末には、朝廷が徳川幕府追討に向け軍事総裁を任命する際「錦の御旗」とともに節刀を下賜している。
人を斬る鋭利な武器でありながら、精緻な美術品でもあるという二面性が日本刀の特徴だ。その魔力に時の権力者たちは尽きぬ執着を示す。日本の歴史が動くとき、彼らの手元にはいつも一振りの名刀があった。そのなかから、歴史を変えた名刀二振りを紹介しよう。
【小烏丸】(こがらすまる)
御物:平安時代
所有者:天皇家→平貞盛→伊勢家→宗家→明治天皇
刃長:62.7cm
宮内庁蔵
もともと「貴族の傭兵」に過ぎなかった武士は、やがて権力の中枢を握るまでに台頭。その代表が、武士として初めて太政大臣に就任した平清盛だ。清盛を輩出した平家には、一族の由緒を証明する一振りの名刀が伝わっていた。天皇より拝領した「小烏丸」である。平家の滅亡で行方不明になっていたが、江戸時代に所在が判明。後に天皇家に献上された。
【薄緑】(うすみどり)
重文
鎌倉時代(*伝承と、推定制作年代が異なる)
所有者:源満仲→源家→源義経
刃長:87.8cm
反り(※):3.7cm
京都大覚寺蔵
(※「反り(そり)」とは、切先と茎(なかご、柄部分に隠れた部位)を直線で結んだ際に、棟(刃の反対側)と最も離れた距離のこと。より少ない力で効果的に切るための工夫と言われている。)
「源平の戦い」は政治権力が貴族から武士へと移り変わる象徴的な事件だった。勝利した源氏に平安中期より伝わっていた太刀「薄緑」は源家重代の刀とされる。「膝丸」など多くの異名を持つが、熊野権現を経て源義経の手に渡った際、改名された。この刀を手にした義経は「一ノ谷の戦い」「壇ノ浦の戦い」などで活躍し、平家一門を滅亡させた。
※SAPIO2016年5月号