【書評】『暢気な電報』/木山捷平・著/幻戯書房/3400円+税
【評者】平山周吉(雑文家)
この本は木山捷平ならぬ、木山「助平」短編小説集ではないか。軽みのある、お色気描写を読みながら、思わず頬が弛んだ。
貧乏をわがものにしたマイナー私小説作家・木山捷平が亡くなってもう半世紀近い。とっくに忘れられてもおかしくない存在なのに、捷平ブームはむしろ没後にやってきた。講談社文芸文庫では今年になって十四冊目が出た。『酔いざめ日記』である。庶民作家の片隅の日常が分厚い一冊の文庫に衣替えして、お目見えとなった。
本書『暢気な電報』は週刊誌やユーモア誌に載ったまま、打ち棄てられていた短編を拾い集めたものである。中に「屑屋」(いまや死語だ)のエピソードが出てくるのだが、本書の刊行で木山捷平のがらくた御払い物は見事に再生された。
収録作品の執筆時期は昭和三十年代が中心である。映画『ALWAYS』が描いたノスタルジック昭和三十年代ではなく、庶民たちのリアル昭和三十年代が木山捷平の世界だ。一本ネジが弛んだような脱力感溢れる善男善女、ほろ酔い機嫌のようなアイマイモコたる輪郭の人物像。地べたに足がつき過ぎてしまった人々の生活感、呼吸、リズムが伝わってくる。
美男美女とは縁のない登場人物は、夜這いに近い性感覚を持って、くっついたり、くっつかなかったりする。性欲と生殖が綯い交ぜになって生存している。「カニの横ばい」の主人公・日山の章ちゃんは、新宿の焼鳥屋で、見知らぬ女が竹串に喰らいつく動作に妙に刺激される。酔っぱらって帰宅、記憶はない。翌日、隣家の若い細君から焼鳥のお礼を言われる。「あの、串かつキッスなさったの、覚えていらっしゃいます?」
この細君、怒っている気配はない。日山は図々しくも、耳の掃除を所望する。細君の膝の感触をたのしみながら日山は、大砲の砲身の寿命へと話題をふる。苛烈な戦場の光景と卑小な欲望が平然と繋げられる。艶笑譚はまぎれもない小説となる。
で、日山自身の発射はなるか?
※週刊ポスト2016年4月29日号