領土問題は日本を悩ませる大きな外患で、反日感情の素地でもある。中国や韓国が、当事者との真摯な解決よりも、政治目的と絡めて交渉を求めがちな点も、日本の世論に抵抗感を覚えさせる。
一方、過去に日本の植民地支配を受けた台湾も、中韓と同じ文脈で語られることが少なくない。だが、ノンフィクションライター・安田峰俊氏の現地取材からは、「反日」だけでは説明できない側面も見えてくる。
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「地元の港も漁会(漁協)の組織も、日本統治時代に日本人が整備しました。様々な漁の方法も、日本から教わったと聞いています」
台湾の東北部・宜蘭県蘇澳鎮(すおうちん)で、漁会に勤務する地元出身の李忠衛氏はそう話した。
台北市内からローカル鉄道に揺られること2時間。日本領の与那国島から100km程度しか離れていない漁師の村である。港には大小の漁船が係留され、「祝・大漁」の旗が翻る。ひときわ目を引く緑色の船舶群は、40年ほど前に日本から購入したという。
「村には、幕末に薩摩藩からお忍びで派遣された西郷隆盛が、半年間暮らして子どもをもうけていたという伝説も伝わっています。もともと日本との縁が強い場所。僕自身も、日本の台湾統治には肯定的な面もあったと考える立場です」
だが、そんな李氏もまた、かつて2012年秋に尖閣近海で領海侵犯をおこなった台湾籍の抗議漁船団に乗船。多数の現場写真をネットに投稿するなど、積極的に活動を支持した経験を持つ。
「蘇澳鎮の漁民たちにとって、あの運動は漁場を守るためにおこなったもの。対日感情とは無関係でした」
そう語る李氏とともに港を歩く。カメラを手にした私に、船上の漁師たちが笑顔でピースサインを送ってくれた。そんな彼らの船も、当時は尖閣近海に「出撃」していたという。
領土問題という言葉がはらむキナ臭いイメージに対して、その震源地のひとつであるはずの蘇澳鎮の雰囲気は、なんとも呑気なものだった。