「カウンターに座って、名人が次々揚げてくれるものを食べていく。大変な贅沢で、充実感のある食事のスタイルです。天ぷらをつまんで酒を飲みながら普通に死んでいく、っていうのがいいですね。実際、その時になったらそうするかもしれない」
そう語るのは、作家・島田雅彦さん(55才)だ。島田さんは、10年前、雑誌の企画で『てんぷら近藤』で1日修行をしたことがある。店主の近藤文夫さんは、数種の天種を操り、食材が最もおいしく味わえるタイミングで引き揚げる。
衣を付けて油で揚げるだけ、という島田さんの甘い認識は打ち砕かれたという。その近藤さんが語る。
「天種の味を生かすには、揚げる温度と時間、衣の配合をすべて変えないといけない。天ぷら鍋は2つあります。1つの鍋で数種の天種を同時に揚げると温度が下がりますから、温度の高い油の鍋が必要です。そして、油。濁る手前で頻繁に油を替えます。すべてのお客様に同じ状態の天ぷらを食べてもらうのが、私の考え方です」
近藤さんが揚げた好みの野菜と魚介をいただき、えびと小柱のてん茶でシメる。島田さんの描く最後の晩餐だ。
「野菜の天ぷらは実に旨い。衣でコーティングされ、旨みエキスが衣の内部にジュワッと浸みだしてくる。ほとんど出回らない江戸前の獲れたてめごちは味が格段に違う。少し熱を長く加えてやると、水分が飛んで味がギュッと凝縮されるんです」(近藤さん)
島田さんは、もう1つ最後に食べたい料理を用意していた。
「なるだけ多様なものを食べるという方針なんです。できることなら、今までに食べたことがないものを食べてみたい、という気持ちもありますね。死を目の前にして、奇妙な向上心とか研究心を発揮するのもアリかなって。虎ふぐのきもとか、毒きのこのソテーとか、食べると危ないようなものを勢揃いさせて食べたらどうかな(笑い)」
島田さんが好物の車えび、江戸前のめごち、旬のそら豆、シメのえびと小柱のてん茶。かき揚げには、活きた小柱とまるごとのえびが使われている。近藤さんは作家・池波正太郎さんの“最後の晩餐”を作っている。
「えび5尾と好物だった空豆の天丼を病床に届けました。全部食べられなくても、そこは江戸っ子の粋。食べた2日後に息をひきとりました」(近藤さん)。
撮影■玉井幹郎
※女性セブン2016年5月12・19日号