『春の園遊会』に参加した黒柳徹子(82才)。皇后美智子さま(81才)との交流はもう40年にも及ぶという。年齢は一つ違い、少女時代を戦争の中で生き、激動の時代を駆け抜けた共通体験も、ふたりを引き寄せたのだろう。
1945年8月15日――終戦を告げる昭和天皇の『玉音放送』が流れた日を、疎開中の美智子さまは軽井沢で迎えられた。そしてその放送を、黒柳は疎開先の青森で聞いていた。
「ラジオの音声も悪く、聞いたことがない言葉が多かったので、当時は、内容はよくわかりませんでした。でも、どんなに暑かったかや、その時のセミの鳴き声はよく覚えています」
昨年8月、黒柳はインタビューで当時を振り返り、こう話した。
「戦争が終わったと聞いたときの安心感やほっとした気持ちは、人生の中でいちばんうれしく、安心した瞬間だと思います」
そして、昨年宮内庁が玉音放送の原盤を公開したことに触れ、こう続けた。
「若い人たちは戦争について想像でしかわからないと思いますが、本当の戦争は想像するよりももっとひどく、つらいものだということを、戦後70年の節目によくわかってほしいと、天皇皇后両陛下は考えられたのではないでしょうか。この音声がどんな意味を持つかを知ってもらって、平和が続くようにみんなが祈ることを、私は祈っています」
陛下とともに“祈りの旅”を続けられてきた美智子さまに呼応するように、黒柳は平和への思いをそう明かした。そして、美智子さまにとっても、やはり昨年は特別な1年だった。昨年10月、美智子さまは誕生日に際しての文書にこう綴られている。
《平和な今の時代を生きる人々が、戦時に思いを致すことは決して容易なことではないと思いますが、今年は私の周辺でも、次世代、またその次の世代の人々が、各種の催しや展示場を訪れ、真剣に戦争や平和につき考えようと努めていることを心強く思っています》
80才を超えてなお、現役を貫いて務めを果たされる美智子さまと黒柳。ふたりの交流はこれからも祈りと微笑みとともに――。
撮影■雑誌協会代表取材
※女性セブン2016年5月12・19日号