ライフ

「世界安楽死を巡る旅」オランダ編その3(全3回)

シープの長男ハンス(左)とその母トース(右)

 ジャーナリスト、宮下洋一氏によるSAPIO連載「世界安楽死を巡る旅 私、死んでもいいですか」。今回はオランダ編だ。オランダは世界で最も早く安楽死を合法化し、その理解も国民の間に浸透しているという。2014年のデータによれば、安楽死の申告数は約5300件に上るともいわれている。世界で最も「死ぬ自由」が定着した国といっていい。認知症を理由に命を絶った79歳男性のケースを報告する。(第3回/全3回)

 * * *
 安楽死当日、レーデンの気温は10度で、青空の朝だった。午前10時に家族が続々と家の中に入ってくると、シープは突然、「散歩に出かける」と言い出した。まさかこの日に行方不明にさせるわけにはいかない。一番仲の良かった孫娘のルス(当時18歳)が、「心配だから一緒に行く」と言い、15分間程、家の周りをぐるぐると歩いた。

 家に戻ると、シープは叫んだ。

「準備万端だ!」

 中では、25人の家族が、手作りのフルーツケーキや、シープの大好物だったプチシュークリームを用意して、彼の散歩の帰りを待っていた。奇妙な雰囲気の中、子供たちや孫を交えて、最後の朝食をとると、正午にはホームドクターのシェフ・ボーステン医師が玄関のドアをノックした。

 ボーステン医師が、この家を訪れたのは初めてではない。彼は、レーデンで活動するホームドクターではない。患者が住む周辺の町医者が安楽死を認める医師とは限らないからだ。しかし、ボーステン医師は、シープが自死を決めてから、何度もこの家を訪ね、患者を診察してきたのだ。

 同医師は、シープのような死を求める患者を安楽死させることについて、患者の願いは叶えてあげるべきという考えを持っていた。

「耐えられない苦しみというのは、測定したくても、それを測る道具は存在しないのです。熱を出しているのではなく、それは感情なのです。私は、とても苦しんでいる患者を助けたいのです。可能性がなくなった時には、その苦しみを終結させてあげたいと思うのです」(豪国営放送ABC)

 ボーステン医師が、毒薬の用意を始めている。いつもなら大声ではしゃぐ孫たちも、この時は、会話を交わすことがなかった。ルスが最愛の祖父の横に座り、こぼれる涙を拭いながら、彼女なりの思いを口にした。

「私、すごく寂しい。だけど、この選択をしたおじいちゃんが幸せなら、私も幸せよ。勇敢なおじいちゃんを誇りに思うわ」

 隣のソファには、カトリックからムスリムに改宗したという、もう1人の孫娘がいた。彼女にとってこの死は受け入れがたいものだった。教義は違えど同じように涙を流し、呟いた。

「おじいちゃん、なんで死んじゃうの? こんな死に方に私は反対!」

 シープは、彼女の手を握り、周りを囲む家族全員に語るように、ゆっくりと口を開いた。

「いいかい、人間はみんな個人の生き方があるんだ。死ぬ権利だってある。誰ひとりとして、人間の生き方を他人が強要することなんてできないんだ。それだけは理解してくれ」

関連キーワード

関連記事

トピックス

鳥取県を訪問された佳子さま(2025年9月13日、撮影/JMPA)
佳子さま、鳥取県ご訪問でピンクコーデをご披露 2000円の「七宝焼イヤリング」からうかがえる“お気持ち”
NEWSポストセブン
世界的アスリートを狙った強盗事件が相次いでいる(時事通信フォト)
《イチロー氏も自宅侵入被害、弓子夫人が危機一髪》妻の真美子さんを強盗から守りたい…「自宅で撮った写真」に見える大谷翔平の“徹底的な”SNS危機管理と自宅警備体制
NEWSポストセブン
長崎県へ訪問された天皇ご一家(2025年9月12日、撮影/JMPA)
《長崎ご訪問》雅子さまと愛子さまの“母娘リンクコーデ” パイピングジャケットやペールブルーのセットアップに共通点もおふたりが見せた着こなしの“違い”
NEWSポストセブン
永野芽郁のマネージャーが電撃退社していた
《坂口健太郎との熱愛過去》25歳の永野芽郁が男性の共演者を“お兄ちゃん”と呼んできたリアルな事情
NEWSポストセブン
ウクライナ出身の女性イリーナ・ザルツカさん(23)がナイフで切りつけられて亡くなった(Instagramより)
《監視カメラが捉えた残忍な犯行》「刺された後、手で顔を覆い倒れた」戦火から逃れたウクライナ女性(23)米・無差別刺殺事件、トランプ大統領は「死刑以外の選択肢はない」
NEWSポストセブン
国民に笑いを届け続けた稀代のコント師・志村けんさん(共同通信)
《恋人との密会や空き巣被害も》「売物件」となった志村けんさんの3億円豪邸…高級時計や指輪、トロフィーは無造作に置かれていたのに「金庫にあった大切なモノ」
NEWSポストセブン
愛子さまが佳子さまから学ぶ“ファッション哲学”とは(時事通信フォト)
《淡いピンクがイメージカラー》「オシャレになった」「洗練されていく」と評判の愛子さま、佳子さまから学ぶ“ファッション哲学”
NEWSポストセブン
年下の新恋人ができたという女優の遠野なぎこ
《部屋のカーテンはそのまま》女優・遠野なぎこさん急死から2カ月、生前愛用していた携帯電話に連絡すると…「ポストに届き続ける郵便物」自宅マンションの現在
NEWSポストセブン
背中にびっしりとタトゥーが施された犬が中国で物議に(FB,REDより)
《犬の背中にびっしりと龍のタトゥー》中国で“タトゥー犬”が大炎上、飼い主は「麻酔なしで彫った」「こいつは痛みを感じないんだよ」と豪語
NEWSポストセブン
(インスタグラムより)
《“1日で100人と寝る”チャレンジで物議》イギリス人インフルエンサー女性(24)の両親が現地メディアで涙の激白「育て方を間違ったんじゃないか」
NEWSポストセブン
藤澤五月さん(時事通信フォト)
《五輪出場消滅したロコ・ソラーレの今後》藤澤五月は「次のことをゆっくり考える」ライフステージが変化…メンバーに突きつけられた4年後への高いハードル
NEWSポストセブン
石橋貴明、現在の様子
《白髪姿の石橋貴明》「元気で、笑っていてくれさえすれば…」沈黙する元妻・鈴木保奈美がSNSに記していた“家族への本心”と“背負う繋がり”
NEWSポストセブン