泰斗、重鎮、鬼才……去年から今年にかけてきら星のような「枕詞」がメディアに並ぶ。あなたはこれらの言葉を正確に使い分けることができるだろうか。フリーライター・神田憲行氏が紹介する。
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これらの「称号」が枕詞のように登場するのは、憲法学の世界だ。恐らく30代半ばの木村草太・首都大学東京教授がマスコミに登場したときに、「新進気鋭」とメディアが呼んだことから始まったと思われる。
・新進気鋭……新進(新たに進み出た人)で意気込みが鋭いこと。(「広辞苑第6版」より。以下、語釈は同書から)
そのあと「重鎮」と呼ばれる学者たちも出た。「憲法改正の真実」(樋口陽一・小林節著 集英社新書)では、小林・慶応大名誉教授が
《ここではあえてマスメディアがつける枕詞を借りて乱暴にまとめると、樋口先生は「護憲派」の泰斗、私は「改憲派」の重鎮と言われてきた憲法学者です》
と自ら紹介している。
・泰斗……(泰山や北斗のように)その道で世人から最も仰ぎ尊ばれている権威者。
・重鎮……ある方面で重きをなす人物。
また私自身、長谷部恭男・早稲田大学教授を「学界の権威」、故・芦部信喜・東京大学名誉教授を「最高権威」と枕詞を付けたことがある。
・権威……その道で第一人者として認められていること。また、そのような人。大家。
さらにここにきて、あまり見掛けないであろう「枕詞」も出てきた。毎日新聞が5月6日付けの記事で、石川健治・東大教授を《「現代憲法学の鬼才」と評される》と紹介したのである。
・鬼才……人間のものとは思われないほどすぐれた才能。また、その才能を持った人。
もう大変な事態なのである。重鎮も新進気鋭も泰斗も鬼才もいるのである。こうした枕詞、「称号」はどのような判断で付けているのか。新聞社の整理部デスク(雑誌で編集者に相当)によると、
「いずれも主観的な人物評価だから、むしろ使うのを回避したい言葉です。ただ、例えば『重鎮』だと、そおおむねそうした評価が一致する人、あるいは、ある程度多数の関係者がそうにした形容で違和感ない場合には使います。使い分けにとくにルールがありませんが、こちらから積極的に付けるというより、周囲の評判が基本です」
では「天才」はどうか。「天才物理学者」とは聞くが、「天才憲法学者」とはなにか馴染まない。
「天才といえば、ある意味で発想や解釈の唐突さみたいな部分を指すと思う。法の話などは解釈の積み重ねや、これまでの研究史からいって、あらたにすごい憲法解釈がポンと出てくるようなものでもないので、なかなか天才という形容には至らないのじゃないかと思います」