キャリア36年の写真家・野村誠一氏がトップアイドルへと駆け上がっていく美女たちと数多く出会ったのが、「ミスマガジン」の撮影。公募によるモデルに読者が投票しグランプリを選ぶ誌上コンテストは、自ら発案の企画で1982年からスタートした。第1回グランプリは伊藤麻衣子、他にも森尾由美などを輩出した同コンテストでデビューした一人に斉藤由貴がいる。
野村氏は「もう時効だから」と裏話を明かしてくれた。斉藤を「ミスマガジン」に応募させたのは、野村氏だったという。
「たまたまテレビを観ていたら東宝シンデレラのオーディションをやっていて、ポッチャリした顔をした女の子が妙に印象に残ったんですよ(笑い)」
それがデビュー前の斉藤由貴だった。1984年、沢口靖子がグランプリを受賞した第1回大会準グランプリとなった斉藤をひと目で気に入った野村氏は、すぐに所属事務所に連絡した。
「初めて彼女と会った瞬間、『この子は絶対、売れる!』と確信するくらいオーラを放っていた。コンテストに応募するためのスナップ写真がないというからその場で撮って、応募方法までレクチャーして、『4キロ体重を落としたら撮影するよ』と約束して別れました。そしたら、見事読者からも認められ第3回のグランプリに。
『ちゃんとダイエットしました』と笑う彼女をグアムで撮影、いきなり46ページの特集を組んだら、『無名の新人なのに大丈夫なのか』と講談社の営業担当が飛んできました(笑い)」
野村氏の予感は見事に的中。翌年にはデビュー曲『卒業』がオリコン2位に、ドラマ『スケバン刑事』の主演にも選ばれるなど、たちまちスターとなった。
当時、野村氏が「この子は売れる」と目をつけた女の子は次々と人気者になっていった。その代表的なスターの一人が南野陽子。彼女の写真集は、42万部の大ヒットとなった。
「陽子ちゃんには一度現場でゴネられたことがあってね。『ちゃんとやれ! コラッ!』と怒鳴ったら泣いちゃったんだ。それでも泣きながら『ちゃんと撮れよ!』と言い返してくる。その後、『私のことを真剣に叱ってくれたのは、野村さんぐらいだった』と話していたと聞いてなんだか嬉しくなりました」
気の強さという点で印象に残っているのは中森明菜も同じ。
「デビュー直後に撮ったけど、新人なのにまったく媚びない。ポーズを指示しても、『なんで?』『ヤダ!』ってソッポを向く。数年後にその理由を聞くと、『アイドルなんて媚びたって売れるわけないじゃない。だから私は自分が好きなようにするんです』って。信念の塊のような子でしたね」
※週刊ポスト2016年5月20日号