名立たる女優やアイドルを独自の構図や色味で撮影してきた写真家の野村誠一氏。卓越した技術は「野村マジック」と称されるが、その秘密はライティングにある。
1980年、インテリアなどの広告畑から女性誌を経てグラビア界へ参入。陰影を強調する技術で顔半分を影で潰すなど、斬新な手法で美しさとエロスを共存させ、多くの大物女優たちからも「ヌードになるなら野村さんに」といわれるほど絶大な支持を得ていった。彼の前で裸身を披露した一人、秋吉久美子の思い出を野村氏が語る(以下、「」内の発言は野村氏)。
「撮影の前に控え室に行くと、すでに裸で待っていて『どう、私?』って、下着の跡がついていないか僕に確認するわけ。ファインダー越しじゃないと恥ずかしいもので、ジロジロ見るわけにいかなかったけど、さすが女優。すべてを晒す覚悟というか、強烈なプロ根性を感じました」
秋吉同様に、プロ意識の高さを感じたのが歌手で女優の西川峰子(現・仁支川峰子)と浅野温子だったという。
「着衣での撮影で箱根に行った時、『私の裸を見てほしい。ヌードの写真集を撮ってほしい。私でいけるかどうか、判断してほしい』と突然いわれました」
そして、野村氏は彼女の想いを正面から受け止め、1988年に発表されたヌード写真は大きな話題となった。一方、浅野温子の撮影は、彼女の『GORO』でのグラビア写真を目にした野村氏の強い切望で実現した。
「オファーしてから、OKが出るまで3年かかりました。それだけ待った甲斐があったというか、撮影を始めると想像以上にすごい被写体でしたよ。
彼女、セクシーに動くから服がはだけてバストがこぼれてしまう。『見えちゃってるよ』といったら、『撮影を止められると気持ちが下がってしまうので、そのまま撮ってください。チェックは社長がしますから』というの。まだ20歳すぎの女の子なのにエネルギッシュで、ホントに熱くなったなあ」
※週刊ポスト2016年5月20日号