甲子園の虎ファンにとっては巨人の選手は毎度ヤジを浴びせられる存在である。だが、それ以上に手ひどく「ヤジのターゲット」にされてきたのが、2014年シーズンまで阪神に所属し、4月26日に2000本安打を達成した広島・新井貴浩(39)である。
2007年オフに広島から阪神への移籍会見で「辛いです……カープが大好きだから」と語ったことから「辛い(つらい)サン」というニックネームで呼ばれてきた新井サン。新人時代から、プレーが雑な新井サンには「粗ゐサン」という呼び名もあった。
1998年ドラフト6位で広島に入団した当時の監督だった達川光男氏(野球評論家)が証言する。
「打撃は可能性を感じたが、駒澤大学時代からDH(指名打者)じゃけぇね。実際守備はド下手で、プロで守る場所はないと思った。
アイツの1年目で忘れられんのは9月21日の中日戦よ。無死満塁で相手打者がピッチャーゴロを打って、1-2-3のダブルプレーになった。さァ2死二・三塁じゃと思ったら、なんとファーストの新井がチェンジと勘違いして1塁コーチにボールをトス。その間に、ランナー2人がホームイン。さすがに頭を抱えたね。
新井が一塁走者の時、フェンス際のホームランを外野フライと勘違いして、バッターランナーに追い抜かれてホームラン取り消しという大ポカもありましたわ」
大打者の道を歩み始めてからも“粗ゐスタイル”は変わらない。2011年、阪神で打点王を獲得するも、失策王、併殺打王にも輝いた。翌シーズンのキャンプでは、金本知憲作成の「祝三冠王Tシャツ」が話題になった。
それでも新井サンは憎めない「愛されキャラ」であり続ける。「黒田博樹投手がイタズラでバッグに消火器を入れたところ、新井選手は“なんか重い”といいながらそのまま持って帰った」(スポーツ紙記者)という伝説があるほどだ。
「ポカだらけでも憎めないのは、それが怠慢ではなく一生懸命のポカだからだね。同期のドラフト1位の東出輝裕が100回やればできるプレーを、アイツは1000回やってかろうじてできるようになる超不器用。それでも1000回の努力を続けたから大成した。まァ、とはいえ新井が2008年にゴールデングラブ賞を取ったことだけは信じられません(笑い)」(達川氏)
※週刊ポスト2016年5月20日号