【書評】『村に火をつけ、白痴になれ 伊藤野枝伝』/栗原康・著/岩波書店/1800円+税
【評者】与那原恵(ノンフィクションライター)
大正時代のアナキスト、斬新なフェミニズム論を展開した伊藤野枝。関東大震災直後の「甘粕事件」により、パートナーの大杉栄、甥とともに虐殺され、二十八歳で生涯を閉じたことはよく知られる。
激しく生き、書いた野枝の人生を、疾駆する文体で浮かび上がらせたのは一九七九年生まれのアナキズム研究者だ。野枝が放つ熱気に巻き込まれるように追走し、タメ口で描く野枝像は躍動感がみなぎる。彼女の思想と生き方は、閉塞する現代社会を打破しうる手がかりにもなるだろう。
〈およそ人間社会というものは、約束のつみかさねによってなりたっている〉。だが、野枝は〈素で約束そのものを破棄しようとしていた。ああしなきゃいけない、こうしなきゃいけないというきまりごとなんて存在しない。それはどんなに良心的にかわされたものであったとしても、ひとの生きかたを固定化し、生きづらさを増すことにしかならないからだ〉。
彼女は〈キュウクツだとおもったら、いつでもすべてふり捨てて、あたらしい生きかたをつかみとる〉。わがまま上等! を貫いた。
福岡の貧しい家に生まれたが、向学心に燃える少女は東京の高等女学校進学を果たす。その後、実家が決めた結婚からさっさとトンズラし、女学校時代の教師・辻潤と同棲を経て結婚。平塚らいてうらが創刊した雑誌『青鞜』を引き継ぎ、セックス、中絶、売買春などのテーマで記事を執筆し、論争を巻き起こす。野枝の主張は今日においても根源的な問いかけとなっていることに驚くばかりだ。
二十一歳で大杉栄と恋愛関係になる。野枝にとって〈恋愛というのは、友情のうえに性交渉がのっかっただけなんじゃないのか〉と著者はいう。友情で成り立つ関係だから、主従関係があるはずもない。そして社会は、個性を持った一人ひとりが自らの生きる力を最大限に生かしつつ、助け合っていくべきだと野枝はいいつづけた。五人の子を産み育て、多彩な友情を育み、思索を深めた野枝の姿が鮮烈によみがえる。
※週刊ポスト2016年5月20日号