あの頃、日本男児が胸を熱くしたのは間違いなく、雄のウサギがシンボルマークのあの雑誌だった。『月刊PLAYBOY日本版』は1975年7月の創刊。米国本誌からライセンスを購入し、米国版のグラビアに日本独自の企画を加えて誌面を構成していた。同誌の名物編集長として知られる島地勝彦氏が創刊当時を振り返る。
「当時は高度経済成長期で日本経済が復興し、“戦勝国のオンナのハダカを見たい”という欲望が男たちに芽生えた。日本人女性にはない『金髪』『巨乳』『色白』を男が求めたわけだ。編集部も赤字覚悟で写真や紙などを最高級にした結果、創刊号は約90万部が完売した」
ネットもなく異国の情報が乏しい時代、金髪美女に憧れた多くの男性を興奮させたのは、選ばれし同誌の専属モデルたち、「プレイメイト」だった。
なかでも伝説的なのがパメラ・アンダーソンだ。美しいブロンドに分厚い唇と射るような視線で世の男を挑発する彼女は、たわわなバストと大きなヒップにくびれたウエストという典型的なダイナマイトボディの持ち主。後にドラマ『ベイウォッチ』(1991年)で女優として大ブレイクし、PLAYBOYのヌード掲載最終号のカバーガールを務めた。表紙14回は歴代最多で、同誌の象徴である。
あどけないルックスながら、顔に似合わず張りのある大きめのバストとツンと立った乳首がソソるのはウィリー・レイ。1972年にはサントリーのテレビCMに出演し、「若さだよ、ヤマちゃん!」という彼女のセリフが流行語となった。
映画評論家の秋本鉄次氏のイチ押しは、規格外の爆乳で「プレイメイト・オブ・ザ・イヤー」にも輝いたアンナ・ニコル・スミスだ。
「“マリリン・モンローの再来”と言われたグラマラスな肢体に興奮した」
超セレブに見初められたモデルも少なくない。ロック界の大スターであるミック・ジャガー元夫人のジェリー・ホールは、1985年11月号のグラビアで8頭身の裸体を赤いリボンでぐるぐる巻きにして、形のいいバストを披露した。日焼け跡がくっきりと残る卑猥なデカ尻を剥き出しにしたパティ・マクガイアは後に世界的テニスプレイヤーのジミー・コナーズと結婚している。
※週刊ポスト2016年5月27日号