日本のプロスポーツで最も人気が高いプロ野球において、“球界の盟主”と呼ばれるのが読売ジャイアンツ。選手時代、常に注目され続けた“元巨人戦士”たちは、第2の人生をどう過ごしているのか? 阪急ブレーブスで活躍し、1988年から1990年まで巨人に在籍し、現在はゴルフ三昧の生活を送る簑田浩二(64)はこう語る。
「銀座での優勝パレードは最高の思い出だね。いくらお金を出しても経験できないものだよ」
1989年、近鉄との日本シリーズで3連敗と崖っぷちに追い込まれた巨人は、第4戦に「1番・右翼」で簑田が先発出場。初回に二塁打を放ち、岡崎郁の浅い中飛で先制のホームを踏む。ベテランの活躍で流れを取り戻した巨人は4連勝で奇跡の日本一を達成した。
前年、阪急から移籍すると巨人の環境の良さに驚いた。自分の家で洗っていたユニフォームが、巨人では専用箱に入れれば翌日ロッカーに綺麗になって届いた。
「阪急も遠征先ではクリーニングに出してくれたけど、マネージャーに『汚れてないから部屋で洗え』といわれることもあったね」
当時、閑古鳥が鳴いていたパ・リーグに対し、巨人では経験したことのない歓声に包まれた。甲子園の阪神戦では、耳栓をして守ったこともあった。1990年のシーズン途中、現役引退しコーチに就任。30億円補強したものの優勝を逃した1995年、責任を取らされる形で退団した。球団事務所に赴くと、日本テレビと報知新聞の評論家を提案されたが彼は固辞する。
「なぜ俺と須藤豊ヘッドコーチだけクビなのかとカチンときていたから、読売系に世話になりたくないと思って。あとになって短気は損気だなと思いましたけど(笑い)」
その後、テレビ東京とデイリースポーツの評論家を経て、53歳でゴルフのレッスンプロを目指す。現役時代はキャンプ中もゴルフに興じ、10数年前までは年120ラウンド、現在も年50ラウンドを回っている。現在は東京・浅草橋で教えており、週に1回、『浅草橋ゴルフクラブ』でマンツーマン指導も。
「50代になったら好きなゴルフをやりたかった。計画通りでした」
(文中敬称略)
■取材・文/岡野誠 ■撮影/藤岡雅樹
※週刊ポスト2016年5月27日号