日本のプロ野球界において“球界の盟主”と呼ばれるのが読売ジャイアンツ。特別な存在として、選手時代に常に注目され続けた“元巨人戦士”たちは、第2の人生をどう過ごしているのか?
選手、コーチ、フロントと巨人一筋で39年間を過ごした国松彰(81)は、王貞治の「ナボナはお菓子のホームラン王です」というフレーズで有名な「亀屋万年堂」の会長を務めている。
「現役時代に創業者である女房の父から『王にCMを頼めないか』といわれ、依頼したら二つ返事で了承してくれた」
国松は1995年に亀屋万年堂の副社長に就任し、2002年に社長、2011年からは会長に。1967年のCM開始当初、4億8000万円だった総売上高は、王引退の1980年に50億円と10倍以上に。親友である巨人の大スター起用は効果抜群だった。
「ライバル会社から『3倍のギャラを支払う』といわれたこともあったようだけど、王はそんなこと一切口にせず、ウチのCMに出続けてくれた」
選手時代に合宿所で同部屋になったことで仲が深まり、1986年からはヘッドコーチとして王監督を支えた。2年後、優勝が絶望的になった9月、王に責任が及ばないように先に辞任を申し出た。後日慰労会が行なわれ、大いに盛り上がったが、帰りに同乗した車で王の取り乱した様子を目の当たりにした。
「道が渋滞していて、普段は温厚な王が運転手を見たことのない剣幕で怒鳴りつけた。どうしたのかと思ったよ」
翌朝の新聞で「王解任」の文字が目に飛び込んできた。慰労会の前に王は球団に呼ばれ、「来季の契約を結ばない」と通告されていたのだ。周囲に聞くと、「国松さんの慰労の会だから」との配慮で彼に伝えなかったという。
1か月後、王と国松の慰労会を共通の友人たちが開いてくれた。その帰り、再び思いもよらぬ場面が訪れた。
「王が『悔しい。もう1年勝負したかった』と突然男泣きをしたんです。5分くらい涙が止まらず、私ももらい泣きをしてしまった」
深い絆で結ばれた2人は、現在も月1回は会う仲だ。
「最近の王はカラオケが好き。昔は人前で歌わなかったのに、今は若い人の歌を熱唱してマイクを離さない(笑い)」
(文中敬称略)
■取材・文/岡野誠 ■撮影/渡辺利博
※週刊ポスト2016年5月27日号