日本のプロスポーツで最も人気が高いプロ野球において“球界の盟主”と呼ばれるのが読売ジャイアンツ。選手時代、常に注目され続けた“元巨人戦士”たちは、第2の人生をどう過ごしているのか?
「マムシ」の愛称で親しまれた柳田真宏(67)は22歳の頃、打撃コーチの国松彰と取っ組み合いの大喧嘩をした。毎日のように深夜4時まで指導通りにバットを振っても、結果が出ない。
ある日、打撃練習中に国松が「何にもできてねえじゃねえか」と呟いた。柳田は「しょうがねえだろ!」と激高した。禁断ともいえる幹部批判。柳田は、川上哲治監督に事のあらましを伝え素直に謝罪した。
「国松もおまえを一人前にしようと思っているんだから頑張れ」
クビを覚悟していた柳田を川上はたった一言で許した。国松が川上に報告していないことも悟った。「この人たちは信頼できる」と決意を新たにした柳田は代打の切り札としてV9の後期を支え、長嶋茂雄監督が「史上最強の5番打者」と評するまでに成長した。
34歳で引退すると、大川栄策の『さざんかの宿』などを作曲した市川昭介の勧めで、歌手に転向。最初は断わったが、「(同い年の)大川だって頑張っているから大丈夫」という一言で考えを改めた。歌手としてラジオ日本主催の横浜音楽祭で新人賞を受賞。歌手活動の傍ら、38歳の時には六本木でクラブを始めた。
「最初の頃は『いらっしゃいませ』と頭を下げられず、『ああ、どうも』としか挨拶できなかった。元巨人選手というプライドがあったのかもしれない」
現在は八王子に移りスナック『まむし36』を経営。店では今も美声を聞かせ、自ら料理も作る。東日本大震災以降は客脚が一気に減った。
「そんな時、黒江透修さんがゴルフのコンペ終わりに大勢連れてきてくれたり、常連さんが助けてくれたりした。巨人の名前の大きさを実感してます」
(文中敬称略)
■取材・文/岡野誠 ■撮影/佐藤敏和
※週刊ポスト2016年5月27日号