日本のプロ野球界において“球界の盟主”と呼ばれるのが読売ジャイアンツ。特別な存在として、選手時代に常に注目され続けた“元巨人戦士”たちは、第2の人生をどう過ごしているのか?
兄は甲子園優勝投手で、法政大学時代は1年から4番を打ち江川卓と同期だった島本啓次郎(60)は、ケガに泣いた一人だ。高校時代に巨人のスカウトが訪ねてきた時は、父親が大学進学を理由に断りを入れた。
1977年のドラフト前は、父親の勧めで住友金属入りが内定していたが、巨人が6位指名。しかし新人時代、多摩川での合同自主トレ2日目に高校時代から脱臼癖のあった左肩を痛めてしまった。
失望感を抱きながら一人で多摩川の土手を走り、グラウンドが見えなくなった辺りで腰を下ろすと、白のBMWが目の前を横切った。「良い車に乗っているなあ」と一瞥すると窓が開いた。王だった。
「慌てないでいいから、ちゃんとケガ治して頑張れよ」
気付くと、直立不動の状態で最敬礼をしていた。結局、肩の故障に悩まされ続け、近鉄移籍後の1983年に引退。和歌山の実家に帰って2か月後に父親が急死すると、何の知識もないまま急遽米店を継ぐことになった。現在はその土地を貸すことになった縁から、塩津郵便局の局長を務めている。
「何とか家族に飯を食わせないといけないと必死でした。巨人時代の最高年俸は300万円で裕福な思いをできなかったけど、第2の人生を考えると逆に良かったかもしれない」
(文中敬称略)
■取材・文/岡野誠 ■撮影/藤岡雅樹
※週刊ポスト2016年5月27日号