日本を代表する演出家の蜷川幸雄さんが5月12日午後1時25分、都内の病院で亡くなった。享年80。死因は肺炎による多臓器不全だった。
高齢化が進む日本は近頃、「終活」がブームだ。高齢になると早めに身辺整理を考えたり、年相応に落ち着こうとする風潮がある。
蜷川さんはそれとは対極の考えだった。晩年の口癖は「枯れた老人にはならない」。「本人も家族も『生涯現役』にこだわって」(娘の実花さん)いて、年を重ねるごとに仕事はどんどん増やしていった。演出する舞台は、40~50代では年2本程度だったが、70代になると年10本にまで増えた。
「80才になって孫の年ほど離れた若者と仕事ができるなんて、うらやましい」(60代前半男性)
「“ゆっくり余生を”なんて家に籠もったら、一気に体も心も弱ってしまった。もう一度、蜷川さんみたいに社会とつながりたい」(60代後半女性)
蜷川さんの生き方は、生涯ハリのある人生を送りたいと思っている人にとって理想といえる。なぜ蜷川さんは老いてなお、第一線で活躍することができたのか。
まず1つは、高齢者が“衰え”と感じるようなことでも、蜷川さんはポジティブに捉えていたこと。
《年を取ると目がかすむとか、耳が遠くなるとか、いろんな不便がある。でもかえって用心深くなるんだよね。『この明るさは前と同じか?』『この音、おれには聞こえないんだけど、君らはどう?』とか。現実を鵜呑みにするんじゃなく、センサーがよけいに働く。そういう意味では、年取ることはマイナスじゃないなと》(76才の時の雑誌インタビュー)
蜷川さんは2006年、55才以上の役者限定の高齢者劇団「さいたまゴールド・シアター」を発足させた。その理由は、「深い喜びや悲しみや平穏な日々を生き抜いてきた」年齢を重ねた人ほど、演劇によって、「新しい自分に出会うことが可能」だからだという。「老い」をネガティブなものではなく、人生の「武器」にするという前向きな考え方だ。
もう1つ、蜷川さんが仕事への情熱を絶やさなかったのには、「遅咲きの演劇人生」が関係しているようだ。
《残されている時間が見えてきたいま、やれることはやり尽くしておきたいという思いはある。(中略)断るのがもったいないと思ってしまうんだよ。それはきっと、僕が優遇されて演出家になったわけじゃないからだろうね》(78才の時の雑誌インタビュー)
※女性セブン2016年6月2日号