「今すぐ辞職しろ!」。デモ隊が声をあげながら警備員とにらみ合う──。この数日、舛添要一都知事(67才)の自宅前はものものしい空気に包まれているが、当の本人の姿は見えない。
『週刊文春』の報道で政治資金の“私的使用”が指摘され、会見で釈明した舛添氏。一部私的な費用が混じっていたとして返金を発表し謝罪したが、その釈明会見に納得している都民はほとんどいない。
「結局秘書のせい」、「誰とどんな会議をしていたか説明できないなら、証明にならない」などと、厳しい声が次々と出るなか、こんな声も。
「そもそも、家族の旅行や食事に領収書を切るっておかしくない? 奥さんや家族はどう思っていたの?」
舛添氏の妻・M子さんは15才年下。舛添氏にとっては3人目の結婚相手となる。
1971年に東京大学法学部政治学科を卒業した舛添氏は、同大法学部助手などを務めながら、ヨーロッパに留学。1979年にフランス人女性と1回目の結婚をする。1986年、お見合いで再婚したのは片山さつき参議院議員(57才)だが、長くは続かず、1988年に離婚。それから8年後の1996年に再々婚した相手が現在の妻・M子さんだった。
「M子さんは資産家のお嬢さんで、聖心女子大学を卒業して美術館で学芸員として勤務していたときに、助教授時代の舛添さんの秘書を務めることになったんです。1989年に舛添さんが東大を辞めたあとに設立した研究所にも出入りし、7年間の交際を経て結婚しました。舛添さんの猛アタックの末の結婚だったそうです」(全国紙政治部記者)
2001年には長女、2003年には長男を授かったが、舛添氏には他にも3人の子供がいる。生まれたのは、1988年、1990年、1995年。母親は2人の愛人である。この子供を巡っては舛添氏が養育費の“値下げ”を求めて調停に発展するなど、“金遣いのせせこましさ”を見せつけていた。
M子さんはすべてを知りながら結婚したというから、舛添氏にとって頭があがらない存在であるようだ。
「ゴミ出しや洗濯など、舛添さんが率先して手伝っているそうです。お子さんが小さな頃は送り迎えもしていました。子煩悩で、お子さんの成績が優秀なんだという自慢も聞いたことがあります。奥さんが教育熱心で頑張っているとよく話していました」(舛添氏を知る人物)
長女は幼稚園受験に備え1才から知育教室に通い、2才になるとお受験専門の塾に通い始めた。
「幼稚園受験を勝ち抜くとすぐに英会話教育に通わせ、バレエや空手の教室にも通っていましたね。長男もお受験塾や空手にピアノ、野球と忙しそうでした」(長女と同じ塾に子供を通わせていた40代女性)
愛人とその子供には金を出し渋る一方、“正妻”への出費には甘かった。
舛添氏が「政治資金」として計上していたものは、外食費や宿泊費のみならず、趣味の絵画にまで及んでいることも判明している。ネットオークションで落札した絵画を「調査研究費」として収支報告書に記載しており、落札商品のなかには娘のために購入したと思われる洋服まであった。
※女性セブン2016年6月2日号