近年、街中で姿を見かける機会が急増したのが、ゴロゴロとキャリーバッグを引きずる人の姿。公共交通機関でバリアフリー化も進み、重い荷物を運ぶのにキャリーバッグは極めて有効だが、誤って落下させてしまった場合、責任の所在はどこにあるのか? 弁護士の竹下正己氏が回答する。
【相談】
駅のホームの下りエスカレーターに乗っていたら、後ろから衝撃があり、転げ落ちそうになりました。キャリーバッグが落ちてきたのです。ケガはなかったのですが、所有者に注意をすると「仕方ないだろ」と言い残し、逃げてしまいました。この場合、押さえつけて駅員に引き渡すべきだったのでしょうか。
【回答】
ケガはなく故意でもないので、落ちたキャリーバッグでエスカレーターが破損したなどの事情がなければ、刑法や軽犯罪法に触れません。持ち主を拘束すると、かえって不法逮捕と非難されます。身柄を押えなくてよかったと思います。
キャリーバッグによる事故については、以前に身近に起きる事故の裁判例として紹介しましたが、判例集にも掲載されており、詳細な経過は以下のようなものです。
事故は吉祥寺駅で発生しました。被害者は88歳の男性で、京王井の頭線の改札口を出てJRの改札口に行く途中でした。加害者は3泊4日の研修を終えて帰宅途中の会社員で、鞄を左の肩にかけ、右手で30cmほど引き出したキャリーバッグの取っ手をもって、被害者とは逆にJR改札口を出て井の頭線の改札口に向かっていました。
キャリーバッグには、着替えや洗面用具のほか、分厚い研修資料が入っていて、重さ約10kgでした。二人がすれ違った際に、キャリーバッグが被害者の左足の足首にあたって被害者は躓き、前のめりになって通路の床に転倒し、左橈骨遠位端骨折と左肩打撲のケガを負い、救急車で搬送され4日間の入院後、半年ほど通院されました。
裁判所は、駅構内のような人通りの多い場所でキャリーバッグを使用する場合には、他の歩行者の歩行を妨げたり、それに躓いて転倒させることがないよう注意すべき義務を負うとして、加害者の不法行為責任を認め、25万円の保険金の支払いのほか、約100万円の損害賠償義務があるとしました。
高齢の被害者が気の毒であることはもちろんですが、研修帰りで疲れながら重いバッグを引きずっていた加害者にも同情します。お互いに注意したいところです。なお、この事例では人身事故でもあり、加害者は逃げたりせず、交番で事情聴取を受けています。
【弁護士プロフィール】
◆竹下正己(たけした・まさみ):1946年、大阪生まれ。東京大学法学部卒業。1971年、弁護士登録。
※週刊ポスト2016年5月27日号