【書評】『忍者の歴史』/山田雄司・著/角川選書/1600円+税
【評者】池内紀(ドイツ文学者・エッセイスト)
忍者は人気者だ。いまやアニメやマンガを通して、Ninjaが世界的な関心らしい。フシギな能力をもつ人間が、一〇〇〇年前の昔から存在してきた。自らを厳しく鍛えて超能力を得た。だが、歴史の表舞台には出てこない。忍ぶ人であって隠者でもあり、さらに一風変わった賢者でもある。
今の子供はどうか知らないが、私のような古い世代には忍者が隣りのおじさんのように親しかった。黒装束に黒い覆面、イザというときは両手で印を結んでドロンドロンと唱えると姿が消える。水をくぐって水遁の術、火をくぐるのが火遁の術。マンガや映画で知ったまでだが、一つだけまちがっていなかった。水遁、火遁をとわず遁走するのが忍者の定め。
「最も重要なのは敵方の状況を主君に伝えることであることから、極力戦闘を避け、生き延びて戻ってくる必要があった」
さまざまな古書を読み解きながら、明快に述べてある。
忍者心得が歌でつたわっているなど、ナルホドと膝を打ちたくなる。「敵にもし見つけられなば足はやににげてかへるぞ盗人のかち」。首尾よく調べをつけて一目散隋徳寺を決めたとき、そっと復唱していたにちがいない。おもえば当今の産業スパイの心得でもある。
軍学書などは、さぞかし忍びの身体能力を述べていると思いがちだが、そうではなく、第一に智恵、第二に記憶力、第三にコミュニケーション能力をあげている。さらにもう一つ、自分をつねにコントロールできる強い意志の持主であること。忍者の実態が少しずつわかってくる。
もともと論じにくいテーマであって、多くが口伝でつたわり、公にされなかった。その上で「忍」を支えたものの歴史性が浮きぼりになってくる。忍者から公的な隠密集団である目付制度への移行。過去に遊びながら、ふと現代になぞらえて、コメントをまじえたくなるだろう。まったくケータイときたら、忍者が小躍りするたぐいの忍具というものなのだ。
※週刊ポスト2016年6月3日号