人それぞれ様々な家族の事情を抱えて生きている──。33才の主婦Aさんが、母との確執、そして関係修復を告白する。
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物心ついた頃から、私は母と2人暮らしで、父を知りません。母は私を育てるため夜の仕事をしていて、仕方がないとわかっていても、さびしくてたまりませんでした。小学生の頃は、夜中に目が覚めると、泣きながら母を捜して外に出たこともあります。
そんなことが続いたからでしょうか。母は夜の仕事を辞めてくれました。家にいることが増えたのですが、やがて次々と男を連れ込むようになりました。
私が高校に上がった頃、母が「再婚したい」と言い出しました。母が選んだのは、私の体をジロジロと舐めまわすように見る男。もちろん猛反対したのですが聞いてもらえませんでした。
ある日、母が買い物に出た隙に、義父は私の部屋に入ってきたかと思うと、いきなり抱きついてきたのです。慌てて逃げ出すと、ちょうど帰宅した母がいました。私は泣きながら、すべてを話しました。しかし、追いかけてきた義父は、「制服のスカートが短いから注意しただけ」と言い訳し、母はその言葉を受けて、「お父さんの言うことを聞かなきゃダメでしょ!」と、あろうことか私を叱りつけたのです。ショックでした。母は私の味方ではなかった──。
私はアルバイトでお金を貯め、家を出る準備をしました。そして高校卒業後すぐ、母と義父が不在の日を見計らって、家を出ました。
それから10年、実家に帰ったことはありませんでした。その間に結婚し、私も母親となりました。育児の大変さを実感するたび、母への思いが募り、次第に会いたくなっていきました。
そしてある日、夫の後押しもあり、思い切って実家を訪れました。義父とは離婚したようで表札が変わっていました。チャイムを押すと、ドアが開きました。初老の母は、一瞬目を見開き、私の名を呼ぶと、涙を流しながら抱きしめてくれました。まるで壊れたレコードのように何度も謝り続けながら…。
帰り際、母から私名義の通帳を渡されました。それは母が再婚前から、私の進学用にと、コツコツ貯めてくれていたお金でした。
今思い返しても、別離は仕方がなかった。けれど、母との関係を修復できたことが、うれしくてしかたありません。
※女性セブン2016年6月2日号