これから夏にかけて、テレビCMや街角のポスターで目にするようになるのが、水着姿の女性たち。彼女たちの笑顔や魅力的なボディは、時に商品の売り上げを大きく左右するが、日本におけるキャンペーンガール(キャンギャル)のパイオニアは前田美波里といわれている。
1966年、前田が水着姿で登場した資生堂「ビューティーケイク」のポスターは、各所で盗難被害に遭うほどの社会現象を起こした。翌年には、東洋レーヨン(現・東レ)が森田敏子をビキニ姿でポスターに起用。前年比4倍となる60万着のビキニを売ることに成功した。
「商品名を単に連呼したり、効能を謳ったりするのではなく、企業イメージを高めるための広告の先駆けでもあります」(マーケティングコンサルタントの西川りゅうじん氏)
1970年には秋川リサがテイジンの水着キャンペーンに登場。『11PM』にも出演するなどキャンギャルのタレント化の走りとなった。前田と秋川はアメリカ人の父を持つハーフで、森田はロシア人の祖父を持つクォーター。その抜群のプロポーションが目を引いた。
1975年、ライオン油脂などのCMに出演したハワイ出身のアグネス・ラムが日本列島に大ブームを巻き起こす。同社が特大ポスターを50名に進呈すると呼びかけると、10万枚超のハガキが届いた。すると彼女はクラリオンや旭化成、大磯ロングビーチなどの広告にも起用されることとなる。その後、各企業は「第2のアグネス・ラム」を狙って外国人を頻繁に起用し始める。
その時代に鮮烈なデビューを飾ったのが夏目雅子だ。1977年、カネボウ化粧品は日本で約200名、パリ、ロンドン、ニューヨークで約400名をオーディションしたが、その中から夏目を抜擢。約2か月のチュニジアロケで日に灼けた褐色の肌を惜しげもなく披露し、「クッキーフェイス」のキャッチフレーズとともに、夏目の名を世に知らしめた。
「前田や森田はミュージカル志向が強く、あまりテレビに出なかった。その意味で、キャンギャルがスターになる道筋を作ったのは夏目だといえるでしょう」(社会学者の太田省一氏)
企業広告の「顔」としての地位を確立すると同時に、タレントの登竜門としての役割を果たすようになったキャンギャルは、日本の芸能史において欠かすことのできない存在となる。
■構成/岡野誠
※週刊ポスト2016年6月3日号