77歳になってもなおハードなトレーニングを続ける千葉真一は「トレーニング歴75年」と語るなど、自己研鑽を怠らない。だが今、千葉の視線は一人の若者に注がれている。長男の真剣佑(まっけんゆう・19)である。アメリカで生まれ育った彼は、2年前から日本でも俳優としての活動を始めた。
「真剣佑はアメリカでブラッド・ピットを演技指導している先生に習っていたのですが、若いうちに日本の歴史などを勉強させねばと呼び寄せました。アメリカ生まれであっても、日本人ですから。だが、いずれ近いうちにアメリカに帰します。ハリウッドが私たち親子の目標であり、夢だからです」
千葉の目は常に世界を向いている。日本映画を、日本の俳優を、いかにして世界に認めさせるかということを想い続けた人生といってもいいだろう。自身も、1974年に主演した映画『激突! 殺人拳』が海外に配給されるや、大ヒットとなってその名が知られるようになった。1992年から拠点をロサンゼルスに移しハリウッドで活動、グリーンカードも取得した。それだけに、現在の日本映画界の現状を憂えている。
「いい俳優、いい監督はいると思います。でも、日本映画が意識しているのは、せいぜい東南アジアぐらいまで。世界を見ようとしていない。しかも、映像文化に対する国の理解がない。オーストラリアやカナダでは、自国を世界に知らしめるため国が国民から寄付を募って映画を作っている。日本にそんなシステムがありますか?」
80歳を目前にしても、座して待つ気はさらさらない。昨年、映像文化とともに日本を世界に伝えるための財団を設立、奔走する毎日だ。
「先日も下村博文・前文科相や太田昭宏・前国交相に会って話をしてきました。未来を担う子どもたちに日本の歴史を正しく教えなきゃいけないし、その歴史を伝えるのが映画なんです、とね。残念ながら政府は日本の映像文化に目が向いていない。
でも、私は諦めていません。世界を相手にした作品を作る日本人がいないのなら、私がやってやろうと。だから今も肉体を鍛えて生涯現役にこだわりたい。そして、日本の映画界に革命を起こしたいのです」
◆ちば・しんいち/1939年、福岡県生まれ。日体大中退後、東映ニューフェイスにトップで合格。1960年、ドラマ『新七色仮面』で主演デビュー。1968年のドラマ『キイハンター』で一躍トップスターに。海外での知名度も高く「Sonny Chiba(サニー千葉)」の愛称で知られ、ジャッキー・チェンやキアヌ・リーブスらとの親交も深い。
撮影■藤岡雅樹 取材・文■小野雅彦
※週刊ポスト2016年6月3日号