2014年10月に最も進んだステージのすい臓がんが発見され、余命数か月であることを自覚している医師・僧侶の田中雅博氏による『週刊ポスト』での連載 「いのちの苦しみが消える古典のことば」から、「苦」にまつわる言葉についてお届けする。それは仏陀による「三つの渇愛から苦が生ずる」という言葉だ。
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自己執着こそが苦であると総括されたお釈迦様は、次に苦が生ずる原因を説かれました。思い通りにしたいという欲求から、苦(思い通りにならないこと)が生じます。思い通りにしたいという本能的な欲求を「渇愛」と言います。お釈迦様は、三つの渇愛を説かれました。その最初は「欲愛」です。欲愛は、カーマという梵語の漢訳で、男女の性欲です。
お釈迦様とほぼ同じ時代、古代ギリシャで性愛に関するシンポジウムが行なわれました。プラトン・著『シンポジウム(饗宴)』では、二日酔いの人たちが集まって、ワインを飲みながら順番にエロスの話をします。エロスはまさに欲愛であり、シンポジウムという言葉の元来の意味は「一緒に飲む」という意味でした。
ソクラテスは、杯では小さすぎるので花瓶でワインを飲みながら、エロスは欠乏の女神・ペニアの子だと言います。ペニアという言葉は、白血球減少症(ロイコペニア)など現代も「欠乏」を意味する医学用語として多く使われています。
そして、豊富の神ポロスが酔いつぶれたときに、ペニアが夜這いして妊んだ子がエロスなのだそうです。だからエロスは、父親と母親の間を行ったり来たりする、満足と不満足の間を行ったり来たりするフィロソホス(愛智者・哲学者)だと言います。
近代になって、エロスに注目した人に、精神分析学の創始者ジークムント・フロイトがいます。フロイトはエロスを欲動という言葉で表現しました。「性の欲動」です。さらに「生存の欲動」、そして晩年には「死の欲動」として死神タナトスという言葉を用いました。実は、「性の欲動」「生存の欲動」「死の欲動」の三つを最初に言ったのはお釈迦様だったのです。仏教でいう「渇愛」と精神分析でいう「欲動」は、どちらも本能的な欲望という意味の言葉です。