芸能史において大きな位置を占めてきたのがキャンペーンガール(キャンギャル)。1960年代の前田美波里以来、紺野美沙子、夏目雅子、山口智子、松嶋菜々子、内田有紀など、錚々たる女優がキャンギャルをきっかけに、その後大女優へと上り詰めたが、バブル景気の名残が薄れてきた1990年代後半から、キャンギャルを起用してきた各社の方針に変化が起きる。
まず、クラリオンガールが路線を変更。1998年から「夢の実現を目指す女性を応援する」というコンセプトに代わり、同年の受賞者の相沢紗世は水着姿にならず、2006年を最後に同賞は休止した。
航空会社も、従来は新人モデルを採用していたが、1999年にはJALが既に大女優となっていた藤原紀香、ANAが芸人の山田花子、JASが故・黒澤明監督と大胆に方針を変えた。
キャンギャル業界を引っ張ってきた繊維メーカーも1999年のクラレを皮切りに、2002年には東洋紡、2003年にはカネボウと帝人が撤退。ビール会社もキリンとサントリーがそれぞれ2003年、2004年を最後に幕引き。アサヒとサッポロは続けているが、2005年から水着姿は封印された。近年ではテレビCMにも、矢沢永吉や福山雅治といった男性が出演している。
「不景気で企業はまず広告宣伝費を削った。ビールの愛飲者に女性が増えたこともあるし、水着自体が目新しいものでなくなった点も大きい」(マーケティングコンサルタントの西川りゅうじん氏)
応募者数はキャンペーンガール最盛期には8000人を超える企業もあったが、2015年の東レを例に取ると149名と50分の1以下にまで落ちている。
「現在ではAKB48などのグループアイドルのオーディションが、女優やグラビアを目指す女性の登竜門的役割になっていますね」(社会学者の太田省一氏)
一つの時代は終焉を迎えたが、若かりし頃の女優たちの輝きは今も色褪せない。
■構成/岡野誠
※週刊ポスト2016年6月3日号