人はどうやって歳を取るべきなのか、歳を取ったらどうすればいいのか。コラムニストのオバタカズユキ氏が2つの例を教えてくれる。
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私が嫌いな流行語に「オワコン」がある。消費者が商品や商品の制作者に何を思おうが自由だとしても、「終わったコンテンツ」ってその言葉、いずれブーメランになって口にしたあんたのクビを刈りに来るぞ、と言いたくなる。
より幅広く使われている「情弱」もいただけない。もとは居住地などの問題で放送や通信のサービスを満足に受けられない人たちが「情報弱者」と呼ばれたそうだが、いまではネット情報に疎い人たちが片端から「情弱」と斬り捨てられている。
バブル期にイケイケ、ノリノリでない者を「ネクラ」と見下す風潮があったけれども、じきにそれは「オタク」と変換され、マイナスなだけではない、一定の立ち位置を獲得した。だが、「情弱」は、プラスの何かに昇格する見込みがない。「負け組」に近い、レッテルを貼って唾を吐くような言葉の暴力性がある。
一方で、けっこう前からキレる高齢者、「暴走老人」の増加が指摘されている。なぜ老人たちがキレるのか。その背景は複雑だが、情報環境の激変が大きな要因のひとつであることは間違いない。
なんでもかんでもIT化、効率化が進められ、その変化についていけない者が置いていかれる。もっともっと情報技術が進歩すれば、誰でも容易に使いこなせるインターフェースも登場するのかもしれないが、今のところは、息継ぐ暇なくバージョンアップ、アップデートを求め続けられるばかりだ。
PCやスマホがなくたって十分にコミュニケーションを取れていた時代に生きていた人たちが、それらなしでは日常生活もロクに成り立たないとなれば、苛立ちを覚えて当然だろう。新しいキカイを前にどうしたものかと立ちすくむと「情弱」と蔑まれ、私はアナログでいいんだと自分に言い聞かせようとすれば「オワコン」の烙印を押される。
時代の変わり目というのは、そういうものなのかもしれない。だが、加齢の価値がこれほど暴落する世の中は決して出来のいいものじゃない。今は情報強者として振る舞っている世代だって、デジタルネイティブにどんどんやられていくだろうし、その10年、20年先はまた別のキカイに馴染んだ世代が台頭して、上を旧世代扱いしていく。
人口の多い高齢者のご機嫌取り政策ばかりで若い人たちの問題が軽視されている、といったシルバー民主主義批判がよくされているが、どうしてすぐそういう世代対立に話をもっていくのだと苦々しく思う。
人はみな歳をとる。安心して歳をとれるから、若い人たちも頑張れる。加齢を喜べる世の中じゃないと、全世代が前を向けない。形骸化した年功序列は最低だが、長幼の序自体は必要なのだ。逆風は吹き荒れるばかりだが、年長者は踏ん張らなければならない。
そんなことをよく考えていたところ、先日、私の思いを代弁してくれる、実に気持ちのいい年長者を見ることができた。現在放送中の連続ドラマ『重版出来!』第8話での場面である。
原作マンガの魅力を丹念に実写化したすぐれたドラマとして毎週楽しみに見てきたのだが、第8話で松重豊演じる和田編集長の長セリフには心を動かされた。阪神タイガースとギャンブル好きで、人は良さそうだが気分屋、仕事ができるかどうか微妙な印象の編集長が、見得を切ったのだ。20年前に大ヒット作品を出して以来、描けなくなって引きこもり中の伝説のマンガ家をこう叱咤した。
〈わたしももう50を超えました。トラキチの若造が『バイブス』の編集長です。出版不況やら何やら、先生が現役の頃とはまるで違います。どんどんどんどん変わっていって、どうすりゃいいのかわからんことだらけです! でも、あの頃になんか戻れないし、今ここで、私ら生きていかなきゃならんでしょう! 私にも中学生の娘がいます。生意気でどうしよーもない娘ですが、私ら大人は、子供の前でカッコつけなきゃならんでしょう! 我々マンガ屋は夢を売っているんですから!〉
中途半端に歳をとった私と同年代の設定ということもあるが、〈私ら大人は、子供の前でカッコつけなきゃならんでしょう!〉と言い切った編集長は実にカッコよかった。自分も見習わなきゃと、率直に思った。