家計を圧迫する介護費用や、徘徊老人による鉄道事故の賠償責任など、老いた親を持つ子供に降りかかるコストとリスクは大きな社会問題となっている。この難題に対し、「親を捨てる」という衝撃的な問題提起を行なったのが、宗教学者の島田裕巳氏だ。
島田氏は新著『もう親を捨てるしかない』(幻冬舎新書)の冒頭で、2015年11月に起きた「利根川心中」に触れている。
埼玉県内を流れる利根川で81歳の妻と74歳の夫の遺体が発見され、47歳の三女が「母親に対する殺人、父親に対する自殺幇助」の疑いで逮捕された事件だ。三女は認知症の母の介護に疲れ果て、病気で働けなくなった父から「一緒に死のう」といわれ、一家心中をはかったと供述した。
この事件がテレビや新聞で大きく取り上げられることはなかったが、そのことに島田氏は強い危機感を抱いている。
「同種の事件があまりにも頻繁に繰り返されていて、しかも解決の目処が立たない。だから世間は見て見ぬふりをしている。この事態は極めて深刻です。
家族という単位が資本主義社会の中で相当に疲弊していることが原因で、その歪みが介護殺人、介護心中という“親殺し”として現われている。そんななかで、いくら家族主義を唱えたところで無駄。人類は家族を形成することで生きてきましたが、今の私たちは歴史的な岐路に立たされている」(島田氏)
島田氏は家族主義の限界を指摘するが、国の方針はまったく逆だ。高齢者の急増と対応する施設や人員の不足から、在宅介護を推進している。だがそれは子供の介護負担を増大させ、介護離職による経済的困窮をも生み出している。
こうした絶望的な状況下でも介護殺人に至らないために、島田氏は「人非人という非難を覚悟」のうえで「親を捨てる」ことを提案したのである。では、「親を捨てる」とは具体的にどういうことなのか。