韓国マスコミは「オバマの広島訪問反対」で異様に熱を上げ、米国の日本配慮と日米緊密化に激しく嫉妬した。正直米国にとって韓国というのはどんな存在なのか──産経新聞ソウル駐在客員論説委員の黒田勝弘氏が解説する。
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「日本にばかり気を遣わず韓国にも顔を向けてよ」と駄々をこねているのは親米を前提にした甘えでもあるが、韓国の“親米”はどこか怪しいところがある。
日本も韓国も昨年は戦後(韓国では解放後)70年という記念すべき年だった。日韓双方とも“70周年”の歴史には米国が関係している。日本は原爆もそうだが米国との戦争終結(敗戦)から70年であり、韓国は米国の対日戦勝で解放・独立を勝ち得てから70年だった。そこで安倍首相は「安倍談話」を発表し朴槿恵大統領は「光復70周年記念演説」を行った。
ところがこの二つを読み比べてみて大きな違いに気付かされる。安倍談話には米国との歴史をはじめ国際関係にかかわる言及が多く、米国を含め国際社会への感謝が語られているが、朴槿恵演説にはそれらがまったくないのだ(拙著『韓国はどこへ? その「国のかたち」の変質と行方』海竜社刊、参照)。
韓国の70年は解放から建国、朝鮮戦争、安全保障、経済発展に至るまで、現在の姿は米国の支援、協力抜きには語れないはずだ。その米国に対する言及が一言もなかったのだ。国際関係にも触れていない。
実に冷たい。当時、演説を聞いて「それはないだろう! 誰様のお陰だ?」と、人ごとながら義憤を感じたものだ。安倍談話とは対照的だった。安倍談話には「謝罪と反省」の有無をめぐって異様な関心を示した韓国政府も韓国マスコミも、自分たちの70年歴史総括はまったくいい加減だった。
こんな米国に対する恩知らず、礼儀知らずの韓国が、不満と文句だけは執拗に言ってくるという図式である。
韓国は米国にもこうなのだ。米国からすれば韓国より日本の方が可愛いし、信義があって礼儀正しいと思うのは当然だろう。
※SAPIO2016年7月号